中居正広の育ての親「中居正広はいつも自信がなかったからこそ引退を選んだんだと思う」at MORNINGCOFFEE
中居正広の育ての親「中居正広はいつも自信がなかったからこそ引退を選んだんだと思う」 - 暇つぶし2ch1:名無し募集中。。。
25/01/27 08:32:28.94 0.net
1987年に旧ジャニーズ事務所に入所した中居氏は、2年目の1988年10月に放送が開始されたテレビ東京系ドラマ『あぶない少年Ⅲ』でSMAPとしてテレビデビューした。

私はその番組のADをしていた。私と同世代の読者は記憶しているだろうが、ローラースケートを履いて歌って踊る光GENJIの成功にあやかってジャニー氏が考え出したのが、スケートボードに乗って登場するSMAPだった。

中居氏は最年長の16歳で、高校1年生。最年少の香取慎吾氏は11歳で小学6年生だったので、通学に支障がないようにということで、撮影はおもに夏休みなどの長期休みを利用しておこなわれた。
 
ADの私は、年齢が近いということもあって彼らの「世話係」だった。「風呂に入って、6時に大広間に宿題持って集合!」などと号令をかけ、目の前に座らせて夏休みの宿題を教えていた。東京にいるときも、ほとんど毎日彼らと一緒にいる生活だった。

当時、私が実感していた中居氏の性格は以下の7つである。

①神経質で細かい
②謙虚
③いつも不安
④自分に自信がない
⑤ナルシスト
⑥周りに配慮
⑦責任感が強い

中居氏は自分の「歌」や「踊り」に自信がなかった。自分の少し甲高い声を気にしていた。

踊りも「自分には運動神経がない」と思い込んで、よく私に相談していた。ことあるごとに「いまの歌、大丈夫だった?」とか「うまくバク転できなくて、ジャニーさんに怒られた」といったことを打ち明けてくれていた。

高校生といえば、「生意気盛り」の年頃だ。だが、中居氏はそんな片鱗すらもなかった。

「真面目」を絵にかいたような性格で、偉ぶらなかった。旧ジャニーズ事務所のタレントはスタッフや外の人にも「くんづけ」で話すといわれるが、中居氏をはじめとするSMAPは私に対してはそんなことはなかった。

当時から「演技が上手」といわれていた稲垣吾郎氏の演技を見て、「ゴローちゃん、なんであんなにうまくできるのかなぁ」とよく言っていた。
私が「そんなことないよ、正広もうまいじゃん」となだめても、「いや~そんなことないですよ」と謙虚だった。

木村拓哉氏はどちらかというと「天才型」だが、中居氏は「秀才型」だ。セリフが覚えられなくて、いつもセットの隅のほうでブツブツと暗記していた。
ほかのメンバーが遊んでいるときも、一人だけ台本を開いていることが多かった。

自分に厳しく、ストイックな人だった。今思えば、もしかしたらそんな行動には「リーダー」という気負いやプレッシャーがあったのかもしれない。

本来、あまり自分に自信がなく、不安を抱えている中居氏の過剰なまでの周りへの気遣いや忖度が、「まずは、自らの活動に終止符を打つ」という行動に走らせたのではないだろうか。


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