23/12/30 17:24:02.14 0.net
著者は、国際日本文化研究センター副所長を務める井上章一氏。出身地は京都市右京区の嵯峨だ。タイトルの『京都ぎらい』から予測される内容は、「自分の出身地である京都が嫌い」である。しかし、読んでみると、話はそう単純ではなかった。なんと、著者の井上氏は、「自分は京都人ではない」というのだ。そして、その理由は「洛外の生まれだから」だと。
洛外に対する言葉は、洛中。どちらも京都以外の人間には聞き慣れない言葉なので、簡単に説明しておこう。洛中とは、京都の市街地のことで、碁盤の目の中、かつて都として機能していたところだ。対する洛外とは、その周辺のことで、かつては都の外だったところ。著者によると、現在では京都市に含まれている洛外だが、今もって洛中人から格下扱いをされているらしい。
具体的には、著者が洛中の民家を訪れた時の、次のような会話に表れる。(家主)「君、どこの子や」、(著者)「嵯峨からきました」、(家主)「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」。つまり、嵯峨を田舎だと小馬鹿にしているのだ。「ええか君、嵯峨は京都とちがうんやで…」と立場の違いを念押しする態度と発言に、気持ちがよいはずはない。京都のいやなところだと著者はいう。
また、80年代のことだが、こんなエピソードもある。結婚相手を探している、洛中生まれの女性の発言だ。「とうとう、山科の男から話があったんや。もう、かんにんしてほしいわ」。山科とは、京都市山科区、洛外だ。結婚相手への条件として、経済的な水準が下がったというのではない。地理的な条件が下がったのだという。いくら30年ほど前の話とはいえ驚きだ。
お茶で有名な宇治もまた、洛外だ。全国で活躍する宇治出身のプロレスラーが、洛中の会場で試合をした時のこと。マイクパフォーマンスの中で、「出身地に帰ってきた」と言うと、客席から強烈な野次が飛ぶ。「お前なんか京都とちゃうやろ、宇治やないか」「宇治のくせに、京都と言うな」等々。
このような例に見られるように、洛中人は、洛外人を見下している。京都に天皇がいて、徒歩移動が中心の近世以前なら、この意識はわからないこともない。都会人が田舎者を見下す意識なのだろう。しかし、現代においても、この意識が変わらないのはなぜなのだろうか。