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鳥谷の一部過激ファンから
藤本の実家に『打たんかったら店燃やすぞ!』
【鳥谷に藤本二軍守備走塁コーチ それでも「感謝」】2017年09月09日
鳥谷の2000安打達成を「僕は必然的にそれができる人間だと思っていました」と喜んでいたのが2003、05年V戦士の阪神・藤本敦士二軍守備走塁コーチ(39)だ。
鳥谷とは二遊間を組んできた間柄だが「因縁の相手」でもあった。
藤本コーチは03年、星野監督の下、正遊撃手として127試合に出場、打率3割1厘をマークして優勝に貢献。
そこに鳥谷が入団し、翌04年春季キャンプはシ烈な遊撃レギュラー争いを繰り広げた。
「当時はトリと僕のガチンコ勝負みたいな取り上げ方ばかり。
当然、自分としてはポジションを譲る気持ちはなかった。せっかくつかんだレギュラーでしたから、トリのことよりも自分が結果を残せばいいんだと考えていた。
金本さんから『3割を打ってもレギュラーと思われんのは魅力が少ないからや。使う方は20本打てるヤツをいいと思う』と言われ、トリに負けないよう、体を大きくしてやったんです」
キャンプの話題は鳴り物入りの新人とV戦士のバトルに集中。
心ない虎ファンも過熱したのだろう。
同年の本紙は2月5日付で『鳥谷の一部過激ファンの犯行か? 藤本の実家に脅迫状』の記事を掲載した。
「それだけ皆が注目していたからでしょ。ホント、あのころは親の店に手紙とか電話とか…。あまりに多すぎて忘れましたけど『打たんかったら店燃やすぞ』もあった」。
結局、その年、当時の岡田監督の鳥谷優先起用方針で藤本は二塁にコンバートとなった。しかし、鳥谷には今も昔も「感謝」しかないという。
「思い出すのはトリが1年目のキャンプで特守をしても汗ひとつかかずにやっていたこと。
ウチで特守の時間が増えたのは、実はトリが楽そうにやっていたから後々そうなったんですよ。体力のあるトリが練習内容まで変えてくれたことは今、考えると大きい。トリがいなかったら僕はあのまま慢心して終わりでした。」
もちろん、鳥谷にとっても藤本コーチの存在は大きかったはず。
04年の遊撃バトルは鳥谷2000安打の原点だ。
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