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読売新聞
2024/12/23 17:00
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第101回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が2025年1月2、3日に行われる。各校のエースが集う「花の2区」の難所として駅伝ファンにおなじみの「権太坂」。実は「本家」の坂は華やかな駅伝コースから少し離れた場所にある。「権太」とつけられた坂の命名の由来は何なのか。現地を歩いてみた。(編集委員 千葉直樹)
往路、2区のランナーたちは権太坂に差し掛かり、14キロ付近の「狩場町交差点」を過ぎた辺りから約1・5キロを20メートルほど上る。9区では戸塚中継所を出発したランナーたちが優勝争いやシード権争いの終盤で越えていく場所だ。だが、本来の権太坂は、現在の駅伝コースになっている国道1号線ではなく、その北西側に位置する旧東海道の坂をさす。
JR保土ヶ谷駅から戸塚駅方面のバスに乗り、「元町橋交番前」で下車。歩道橋を渡ったところの交番の横の道を入ると、旧東海道「権太坂」の上り口がある。
マンションや一般住宅にはさまれた、自動車がすれ違える程度の坂だ。時おり車やバイクが通り過ぎていく。
横浜市教育委員会や保土ヶ谷区によると、この場所は、日本橋から4番目の宿場だった保土ヶ谷宿の西側にあたり、江戸から東海道を西に向かう旅人が初めて出会う、きつい坂だった。松並木の続く風光明媚な場所で、坂の上からは眼下に神奈川の海が見えたという。
昭和30年代には、宅地開発のために道が改修された。坂の脇には、当時の改修記念碑が建つ。石碑の裏には、道路敷地として1500坪(約5000平方メートル)を横浜市に寄贈した地元の人たちの名前が刻まれている。
「権太坂」の地名の由来には諸説ある。「旅人が老人に坂の名前を尋ねたところ、自分の名前を聞かれたと思い『権太』と答えた」という説や、「 権左衛門ごんざえもん という開発者の名前から『 権左坂ごんざざか 』と呼ばれていたものが『権太坂』に転じた」など―。
坂を上っていき、横浜横須賀道路をまたぐ「権太坂陸橋」を渡る。振り返ると坂の下に街並みが広がり、空が大きく見える。さらに上ると「市立権太坂小学校」がある。住居表示は「保土ヶ谷区権太坂」で、ここはまさしく権太坂なのだ。奥へと進み、上りが終わる場所は交番脇の上り口からは1キロ足らずで、歩いておよそ10分だが、国土地理院の地図によると、標高差は約50メートルある。ランナーが走る国道1号線よりもはるかに急坂だが、その昔は、今よりもっと勾配がきつかったという。
権太坂を越えて旧東海道を進むと「 境木立場さかいぎたてば 跡」「境木地蔵尊」がある。「立場」とは、江戸時代に街道で人足が駕籠をとめて休息したり、馬を交代したりした場所。西に富士山、東に海を望む風光明媚な場所で、旅人は名物の「 牡丹餅ぼたもち 」でしばし、旅の疲れを癒したようだ。