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筆者は「どこの国にも差別はある。日本にだって外国人差別はあるし、もしかしたらアメリカにもあるかもしれない。もし人種差別に遭っても、俯かないで毅然としていよう」と言った。
しかし、学校からの紙切れ一枚では収まらなかったようで、筆者にわざわざ「それでも東洋人は醜い」と言ってくるアホもいた。今度はフランス人だった。
もうこれ以上エネルギーを使いたくなかった筆者は「外見が白豚の様に美しくとも内面が醜い人はあっちに行ってください」と追い払った。
三人の、恐らくこれまで人種差別に会ったことの無かった人を精神的に支えるのは骨の折れる仕事だった。
学校での差別語は、今にして思えば、半分は日本人の英語力を試していたのではないか(吊り目という英語が分かるか),もう半分は幼い差別感情から来ていたと思いう。(日本人としては比較的切れ長の目の子がターゲットになっていたので)
しかし、40年前、ちょうどバブルで景気が良かった日本人は何かにつけ的になりやすかったが、この学校での一件を通じて、「東洋人は醜い」という素直な意見を聞けたのは、ある意味収穫だった。
バブル期の日本人へのロンドン市民からの視線は冷たかった。
今思い返すだけでもナイーブだったなと思う。いじめやからかいなどはどの国のどんな学校でもあるし、学校の外で人種差別があるなら学校の中でもあるものだと思っておけば良かったのだが、学校にはいろいろな人がいる。当然東洋人が嫌いな人もいておかしくないだろう。正直に「東洋人は醜い」という正直な意見を聞けただけでも収穫だった。