【音楽】人気絶頂の中でバンド解散、16年後に衝撃の再結成 奥田民生(59)が「ユニコーンをまたやれる」と思ったきっかけとは [muffin★]at MNEWSPLUS
【音楽】人気絶頂の中でバンド解散、16年後に衝撃の再結成 奥田民生(59)が「ユニコーンをまたやれる」と思ったきっかけとは [muffin★] - 暇つぶし2ch1:muffin ★
24/11/29 19:03:42.39 +46ZjztT9.net
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11/29(金) 17:12

1994年10月、奥田民生(当時29歳)がソロシングル「愛のために」をリリースした。彼はその前年の9月、7年半続けてきたバンド・ユニコーンの解散をラジオ番組『オールナイトニッポン』の特番で突然発表し、ファンに衝撃を与えた。その後はしばらく休むつもりで釣りに熱中したりしていたが、結局半年もすると曲づくりを始め、同曲でソロとして新たなスタートを切ったのである。それから今年で30年が経った。

(中略)

 むしろ奥田は“力を抜く努力”を重ねてきた、と言うべきなのかもしれない。先にも引用した奥田の著書『59-60』を読むと、彼がいかに年代ごとにステップを踏みながら、「自然体」と呼ばれるスタイルをつくりあげてきたかがうかがえる。

 ユニコーンでデビューが決まり、郷里の広島から何も知らないまま上京した20代はとにかくインプットの毎日であったという。30代はそうやって得た知識や経験を最大限にアウトプットした。先述したPUFFYのプロデュースや「ひとり股旅」といった新たな挑戦もあった。

 そうしているうち確実に経験値が上がって40代を迎えると、「あのときの仕事のやり方は正解だったのか」「いまならもっといいものがつくれるんじゃないか」と振り返るのが楽しみになったという。40代はその上で30代の自分を一度リセットして再起動する時期であったようだ。44歳になった2009年にはユニコーンを再結成した。《俺がユニコーンをまた続けられると思ったのも、自分を再起動して生まれた「空きメモリ」に、ちょうど収まるピースを見つけられたからかもしれない》と奥田は顧みる(『59-60』)。

 そして直近の10年である50代は「最適化」の年代であったという。体力との勝負となり、仕事も「これは疲れるからやめよう」などと取捨選択するようになった。その際のポイントとして「若いときは忙しくてできなかったけど、本当に好きなことをする」と決めており、たとえば、専用車で屋外レコーディングをする「トツゲキ!オートモビレ」というYouTubeでの企画などがそれに当てはまるという。

 ただ、奥田は一方で、60歳を目前にして、自分に残された時間を意識し、できるだけ無駄な時間は排除したいと思うようにもなってきたという。これまでを振り返っても、《経験上、ムダだと思ったものが後で「ああ、すげえ助かった」ってなったことは一度もない》と断言する(同上)。これに対し、「愛のために」では「いちいち道草して行こう」と歌っていたのに……と訝しむファンもいるだろう。だが、彼に言わせると、たしかに自分も道草をすることはあるが、それは「あえてムダを楽しむ」ときで、それ以外の無駄で「やってよかった」と思えることはほとんどないらしい。

 そんなふうに無駄はできるだけ排除しようと、仕事も取捨選択しながらも、実際のところは若いころよりいまのほうが忙しいという。たしかにソロだけでなく、再結成したユニコーンのほか、寺岡呼人ら親しいミュージシャンたちと結成したカーリングシトーンズなどバンドも掛け持ちしていると、時間がいくらあっても足りないだろう。

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