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インタビュー前編
キュートな笑顔が画面から消えたのは昨年7月だった。元フジテレビアナウンサーの渡邊渚(わたなべ・なぎさ)さん。長期療養を余儀なくされ、入院後、体の自由がきかなくなったこと、精神的に追い込まれていることなどをSNSでつづった。そして、体調が回復してきた今年8月31日に退職。1か月が過ぎ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っていたことを初告白した。現在はフリーで活動。今だから言える抱えていた葛藤、この先のビジョンをENCOUNTに明かした。インタビュー前編は「闘病、退職の経緯」。(取材・文=一木悠造/構成=柳田通斉)
渡邊さんは1人で、取材の場に姿を見せた。
(略)
「昨年の秋ごろから、『アナウンサーを続けることが無理だろうな』とは思っていました。担当番組を外されて、帰る場所もないこともありましたが、会社にトラウマがあったので、『もう1回あの場に行かなきゃいけないのはしんどい』『社屋に入れるのだろうか』と真剣に思っていました」
体調の異変を感じだのは、昨年6月。その時点で「PTSD」と診断されていたという。
「正直に言うと、会社も関係するトラブルがありました。診断結果も出たのですが、『やっぱり、働きたい』『頑張れる』と思っていました。この仕事が好きでしたし、夏に向けていろんなことが決まっていたので。なので、番組中も普通に振る舞っていたのですが、カメラマンさんは気づかれていて、オンエア後に『何かフラフラしているよ』『顔色も悪いよ』と言われました」
結局、入院を決断。当初は「2週間程度で職場復帰」を想定していた。
「入院直前もご飯が食べられない、目も回って、手足が思うように動かない感じはありました。ただ、『食べていないから、栄養が体から抜けていて、それだとダメだから』ということで、最初は消化器内科に入りました。自分でも『栄養がきちんと取れれば、すぐに退院できる。2週間程度かな』と思っていたのですが、うまくいきませんでした。そして、自分が大事にしていた担当を外されていく、手からこぼれ落ちたことを知り、とても苦しくなりました。『何で自分がこんな目に遭わなきゃいけないのか』『PTSDにさえならかったら……』などといろいろ考え、心が悪化していきました。その後、正式に精神科に入院しました」
入院2か月後、ノーメイクでベッドに横たわった写真をインスタグラムに投稿。深刻な病状を初告白した。反響は大きかった。周囲からも「投稿はしない方がいい」と言われたが、闘病中に社会とつながれるのは「SNSだけ」と思い、それを続けた。
「あの時は自分から何かがなくなっていく感覚が大きく、それが悔しかったです。でも、何にもできず寝ていることしかできない。動けないし歩けないし……。そして、『社会から隔絶されている感覚を打破したい』と思い、投稿しました」
ユーザーからは多くの声が届いた。励まし、復帰を願う声が多かったが、次第に「それだけ発信して病名を明かさないのはおかしい」「かまってほしいだけではないのか」などと、非難の声も届くようになった。それでも、コメント欄を閉じなかった。
「病名を言えなかったのは、会社から止められていたからです。ウソをついているようでもやもやしていたのですが、組織の人間である以上は仕方ありませんでした。
そして、いろんな声が届きましたが、『そう思われても仕方ない』『そういう意見もあるよな』という風に受け止めていました。一方で、同世代で同じように病気と闘っている人、精神疾患にかかっている方々からの声が多く届いていました。そして、皆さんが『自分も今こういう感じだよ』『こういう思いで頑張ってきたから今は元気だよ』『自助グッズはこれがいいよ』などと伝えてくださっていたので、すごく学びになっていました。なので、『コメント欄を閉じたらもったいない』と今も思っています」
病名告白は退職から1か月が過ぎた10月1日。今年5、6月にパニック発作がひどかったことも明かした。その後、過去にメニエール病を患ったこと、退院後に腎盂腎炎、尿管結石、ぼうこう炎など腎臓関連が弱っていたことなども告白している。
「PTSDになってからは、特定の食べ物とかを見るとそのトラウマを思い出していました。その日に食べた物とリンクし、パニックにもなっていました。スーパーに入っても、野菜、肉、魚の売り場には行けませんでした。だから、フルーツだけを食べるしかない。入院直前はブドウ10粒を1日で食べきるのが精いっぱい。それで朝から晩まで働いていました」
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