24/11/10 13:01:36.59 IpclVPKo0.net
この歌を作詞した喜多条忠は、学生運動の活動家であり、女性と同棲していたそうです。
当時の若者、特に、学生運動に関わっている若者は、体制側が作った制度は古臭くて変えられるべきものであるという価値観を持ち、とりあえず反発するという傾向があったようです。
「~家」と「~家」が結びつく「結婚」などは、見方によっては旧弊の最たるものですから、そんな面倒な手続きは踏まず、好きならば、いっしょに住むという同棲は、おそらくそれ自体が学生運動の一環という面があり、女性と同棲していた喜多条忠にも、そんな意識があったのではないかと思います。
でも、好きな人といると、難しい理屈はともかく、いっしょにいること、それ自体が楽しいのです。
毎日いっしょにご飯を食べたり、風呂に行ったりしていると、ふと改革などの志を忘れ、そのまま日常に埋没していきたくなります。
この歌詞を書いた喜多条忠が、好きな女性と暮らしながら恐れたのは、まさにそれでした。
この歌は女性の視点で書かれていますが、最後の歌詞は視点が男性に変わっているのだそうです。
「こわかった」のは、世の中を変えていこうとする意識を鈍化させ、「結婚」「幸せ」のような既成のものを魅力的に見せてしまう、彼女の「やさしさ」だったのです。