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壮大なスケールの曲が出来上がって、それを作詞家に委ねることになった。
当初は暗黙の了解として、「冬のリヴィエラ」と同じ松本隆を想定していたという。
だが、完成した曲と小林旭のイメージから大瀧が急きょ、スケール感のある詞を
書ける阿久悠に頼めないかという変更案を出してきた。「松本の都会調の少し
弱々しい感じはアキラさんには合わない」と思ったのである。
初めて大瀧に会って作詞の打ち合わせをしたときのことを、阿久悠がこのように記している。
「あまり、しゃべらなかった。しかし、クレイジー・キャッツの歌に興味があるとか、
小林旭の初期の頃のアンチャン節風のものが好きだとか、ちょっと不思議な人だなと
思った。ぼくは、可能な限り美文調をメロディーにあてはめ、日本離れのした風景と、
現実離れのした浪漫を書いた。」
こうして完成した「熱き心に」だったが、デモテープを受け取った小林旭はどことなく、
曲の感じがつかめなかったという。そして気持ちが乗らないまま、レコーディング・
スタジオに足を運んだ。
なんとなく気乗りがしなかった曲だが、スタジオでストリングスのイントロを聴いて、
それまでの疑問が払拭された。そうか!これは『西部開拓史』なんだと。ハリウッド
映画の音楽で、雄大な景色のなか、疾走する駅馬車、馬にまたがる主人公の姿などが、
一瞬にして思い浮かんだ。その時に、大滝さんの狙いがわかった。
念願かなって憧れのスターと仕事をした大瀧もまた、スタジオで小林旭の力強い歌声を
聴きながら「これは行けるぞ!」と、高揚感を感じていた。
その年の11月20日にリリースされた「熱き心に」は年末から翌年にかけて大ヒットし、
押しも押されぬ小林旭の代表作になっていったのである。