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2023/02/06 17:25
箱根駅伝・襷のメモリー
ラジオの解説者として毎年、箱根を現場で見守る。年々盛り上がりを増す大舞台で、声援を背に駆ける後輩たちの姿に広島経大陸上部監督の尾方剛さん(49)は思う。「注目と期待に惑うことなく、足元を見つめて走ってほしい。そうすればより高い目標が見える」。自身の経験に基づく言葉でもある。
尾方剛(1994年出場、山梨学院大)
山梨学院大が総合優勝した1994年。2年生だった尾方さんはアンカーとして10区区間賞をマークし、大手町のゴールに飛び込んだ。故障に苦しみ、大学入学後ではこの箱根がほぼ初と言っていい公式戦。「走るのが楽しくて仕方がなかった」と振り返る。
郷里の広島を出て山梨の大学に進んだのは、同学年のスター、早大の渡辺康幸と箱根で戦うためだった。「次は康幸に勝つ」という願いは、しかし、実現することはなかった。尾方にとって、この区間賞が箱根でただ一つの足跡となる。
「優勝で芸能人みたいに注目されて、勘違いしててんぐになってしまった」。期待を重圧に感じ、練習で狙ったタイムが出せないと自分が許せなくなり、スランプに陥った。最初は頭髪、さらに全身の毛が抜けていった。ストレスによる全身脱毛症と診断されたが、「何が原因かもわからなかった」。帽子をかぶって授業に出席し、怖くて人前に出られなくなった。
「康幸のような活躍を期待されていると思い込んでいた。周囲は重圧になるほどの期待はしていなかったと思うし、結局は自分のせい」。苦しみ抜いたが、退部は考えなかった。
当時の上田 誠仁(まさひと)監督や両親ら支えてくれた人たちも「もうやめていい」とは言わなかった。ついに全身の毛が抜け落ちても、「陸上で味わった悔しさは陸上でしか晴らせない」と、走ることは決してやめなかった。
迎えた最終学年、箱根メンバーに名前はなかった。それを機に毛が生え始め、そこで「ようやく箱根にとらわれていた自分に気づいた」という。
反骨のランナー、現在は広島経大監督「大学時代の経験が自分を育てた」
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