22/09/23 14:17:14.11 CAP_USER9.net
1990年代に全国区の人気を誇ったお笑いタレントの森脇健児さん。現在は関西ローカルの「HITMON!!」(カンテレ、木曜深夜1時20分、10月からは月曜深夜1時25分)や地元・京都の「あんぎゃでござる!!」(KBS京都、日曜午後10時半)など関西を拠点に活動を続け、毎年春と秋の改編期に放送されるTBS系特番「オールスター感謝祭」の「赤坂5丁目ミニマラソン(赤坂マラソン)」で半年に1度、全国に健在ぶりをアピールしている。森脇さんは、高校時代にオーディションに合格すると、20歳そこそこでブレーク。すぐさま東京に進出し、90年代には10本以上のレギュラー番組に出演するなど大活躍。そんな人気絶頂期の心境や、その後、低迷した原因といわれる大御所とのエピソードの真相、挫折から得た教訓などを赤裸々に語った。
◇波に乗れた要因は「あのころ関西にジャニーズがいなかったから」
1967年2月5日生まれ、大阪府出身の森脇さんは、京都の高校に入学し、2年生のときに「第1回松竹芸能タレントオーディション」に合格。1984年から事務所に所属し、1988年から、関西ローカルのバラエティー番組「ざまぁKANKAN!!」(読売テレビ)のMCを山田雅人さんと共に務め、女子高生を中心に人気を博す。90年代に入ると、東京に進出し、1992年からSMAP、森口博子さんと出演したバラエティー番組「夢がMORIMORI」(フジテレビ系)など多くのレギュラー番組に出演し、人気を全国に広げた。
森脇さん自身、ここまで急速に、そして熱狂的に全国区で人気が出たの�