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泉谷しげる 拓郎の決断に「敬意」も「気が変わったので…があってほしい、とも思う」
[ 2022年6月26日 05:30 ]
URLリンク(www.sponichi.co.jp)
94年の公演での吉田拓郎(左)と泉谷しげるPhoto By スポニチ
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シンガー・ソングライターの吉田拓郎(76)が年内で芸能活動を終了する意向であることが明らかになった25日、ともにフォークブームを支えた歌手の泉谷しげる(74)がスポニチ本紙の取材に「“決断”には敬意を表したい」と理解を示した。
1975年に拓郎と井上陽水(73)、小室等(78)とともに、アーティストによる初のレコード会社「フォーライフ・レコード」を設立した間柄。「最初に聞いた時は驚いたけど、よくよく考えたら、本人はよほど考えた末の“決断”だと思うので、その“決断”には敬意を表したい」と思いをはせた。一方で「でも、ファン心理としては、決断を撤回し、覆して“気が変わったので、また、やるわ”という時があってほしい、とも思う」と本音も吐露した。
フォーライフ設立の話は拓郎と小室が進め、まず陽水を誘った。続いて拓郎が「もう一人毒のあるのが欲しい」と声を掛けたのが泉谷だ。ただ、泉谷は拓郎が2代目の社長に就任することに反対し、就任1カ月後の76年7月に退社した。
その後、10年近い仲たがいを経て関係が修復するも、99年にムッシュかまやつさんのパーティーで大げんか。11年にニッポン放送「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」の収録に泉谷が飛び入りし、12年ぶりに和解した。泉谷は、若者の連帯ソングだったフォークを大衆音楽に引き上げた拓郎の功績を誰よりも分かっている盟友だった。
拓郎の活躍は刺激になっていたとみられ「とりあえず、長い間、お疲れさんだったと、一応、言っておく」と複雑な思いがうかがえた。
(おわり)