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24歳の若さで現役引退―2016年リオ五輪で体操団体金メダル獲得に貢献し、個人でも跳馬で銅を獲得した“ひねり王子”、白井健三のことである。
彼が脚光を浴びたのは13年、高校生として日本体操史上初めて世界選手権に出場し、ゆかで金メダルを獲得したときだ。その後も世界選手権で活躍した白井は、17年にはJOCの「シンボルアスリート」に選ばれた。
「異変が目に付くようになったのはその頃からです」
と、日本体操協会関係者が声を潜める。
「彼は、日体大の先輩の内村航平や、同級生のスキージャンプ・高梨沙羅のように“プロとして稼ぎたい”と大学側に掛け合うも、認められなかったそうなんです」
翌18年にはこんなトラブルがあった。
「ハウス食品のカレーのCMに出演した際、事前に体操協会に連絡していなかったことが問題になりました。ライバル社の明治が協会のスポンサーだったことも火に油を注いだ。結局、CMは早期で打ち切られてしまいました」(同)
この年の世界選手権で白井は金メダルゼロに終わる。
19年、日体大を卒(お)えた白井は同大大学院に進むも、
「所属先として日体大に加えて、父親が経営する体操クラブも併記したため、また日体大の眉を顰めさせた」(同)
この年は代表落ちし、世界選手権は出場すら叶わず。いずれも成績低下とシンクロする残念な裏話である。
そして、今年の東京五輪。代表選考で白井は当選圏遥か下位に低迷し、落選した。
「昔は絵に描いたような好青年だったんですが……」
と、スポーツ紙体操担当記者が嘆く。
「近年は、記者に“何でそんな質問に答えなきゃいけないんですか”と突然キレたり、低得点をつけた審判に対して“理解できない”と感情をあらわにしたり……。実は一時期、記者の間で白井は“黒井”という仇名で呼ばれていました」
早く咲かば早く散る―を体現した体操人生だった。
「週刊新潮」2021年7月1日号 掲載
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