暇つぶし2chat MNEWSPLUS
- 暇つぶし2ch2:齒盾ノなってた。カトちゃん(加藤茶)交えて3人で麻雀したりね。でも、メディアがライバル構造を作るもんだから、お互い意識しちゃってさ。カトちゃん、コーちゃんとある時、『プライベートで一緒に歩くのはやめよう』って決めたんです。  当時、二郎さんとよく『ドリフに敵うわけないよ』って話してたっけ。彼らの稽古はすごいもん。毎週毎週、何時間もさ。TBSの他の番組に行くたびにドリフの稽古を見ていたから、肌で感じてたんだ。僕らは稽古なんてしないし、瞬発力で舞台を駆け回ってただけで、ドリフの『計算された団体芸』とは力の入れようが違ったよね」  盛んに取り上げられた『全員集合』との視聴率戦争について、萩本は一歩引いて見ていた。 「会場のお客さんにウケたかどうかがすべてだから、数字なんて教えてくれるなとスタッフには言っていたの。僕らは台本もペラ1枚だし、ぶっつけ本番で勝手に動き回るからカメラが追い切れない。テレビ向きじゃなかったよね。『全員集合』とは作り方が何から何まで違ったから、比較しないようにしていたんだ」  一方、コント55号を追いかけたドリフも苦労は絶えなかった。仲本が語る。 「相手のことを考える余裕すらなかったってのが正直なところ。毎週、いかりやさんの指示に従うだけで、もう必死ですよ。『全員集合』の合間には地方興行もあるし、ヘトヘト。いかりやさんは『他のことは考えるな。自分の番組のことだけ考えろ』ってよく言ってた。TBSからは数字のことも散々言われていたと思うけど、そういうやり取りは全部いかりやさんが引き受けてくれた。あのワンマン体制があったから、『全員集合』は成り立っていた」  そんなドリフが『世界は笑う』を追い抜いた要因について、「僕らがバンドマンだったことが大きい」と仲本は話す。 「ステージで生演奏してるから、もともと生放送に向いてたんだ。間が空けば自分で繋げる。あとはリズム感。ドリフの強みは5人がリズムに合わせて一斉にずっこけられること。くしゃみひとつで転ぶのは音楽のリズムと同じ。ある種の“踊り”みたいなものでね。分かりやすくて、子供も大人も楽しめたんでしょう」  その後、1975年に『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジ系)がスタートし、第二次土8戦争が勃発。萩本が語る。 「お笑い番組が花開いた時代だったよね。いまの芸人は言葉で笑わせるけど、僕らもドリフも『動き』が基本だったから、脳で笑うっていうより、直感でお腹を抱えてくれた。当時は笑いが起きると文字通り会場が揺れたもんです。お茶の間でも家族全員でドカンとね。そういう笑いは、今は難しいのかもしれないね」 ※週刊ポスト2021年5月7・14日号 5/3(月) 7:05 https://news.yahoo.co.jp/articles/da9ca3898aab06edac852ab5f45c82a6bcaf8785




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