21/03/19 11:06:55.53 y8yMTwc50.net
【重要・伝承】
長脛彦のアイヌ語名はイシキリさん
石切剣箭神社
>神社の公式な見解には無いが「石切さんには長髄彦がお祀りしてある」等の口伝がある。
>石切の音を i-si-kir・i とアイヌ語で解釈することで、「長髄彦」と訳出可能である。
>i-si-kiri はアイヌ語で「その・長い・彼の足」の意味になるという。
宇賀神社
>神武東征の伝承に登場する大和の豪族、兄宇迦斯(えうかし)と弟宇迦斯(おとうかし)を祭ったという説もある。
>神社の裏には、血原川という川が流れているが、「古事記」の神武東征伝承にまつわる地名。
>神武天皇は宇陀に入り、この地を支配していた兄弟に使者を出して自分に仕えるかどうか尋ねた。
>兄宇迦斯は使者を射殺し、表向きは従うふりをしつつ軍を集めて迎え撃とうとする。
>弟宇迦斯は兄の裏切りを伝え、兄宇迦斯が討たれて血を流したことから血原という地名がついたという。
兄宇迦斯(えうかし)は、奈良県のアテルイ …アイヌ語で長老を「エカシ」というが、語源は同じ
URLリンク(kamnavi.jp)
奴隷にされた蝦夷と隼人
>朝貢の儀式(710年)では、天皇が大極殿に出御し、エミシとハヤトを参列させた。
>皇城門外の朱雀路の東西に騎兵が整列する中、左右の将軍・副将軍がエミシとハヤトを率いて行進するという
>一種の見せ物的なパレードであった。(『続日本紀』和銅3年正月元日の条)
>エミシとハヤトは「蛮夷」とされ、天皇の権威と支配拡大の誇示に、屈辱的な形で利用されたのである。
和人による北海道植民地化政策の一例 「蝦夷三官寺」
>江戸幕府が1804年に現在の伊達市・様似町・厚岸町に建立した3つの寺院の総称。
>各寺は蝦夷地で死亡した和人の葬儀とアイヌ民族への仏教布教を目的に建てられました。
>背景には対ロシア政策として幕府による蝦夷地支配を示す狙いがありました。