【芸能】36年前、松田聖子が郷ひろみとの別れを決めた「あの瞬間」 [砂漠のマスカレード★]at MNEWSPLUS
【芸能】36年前、松田聖子が郷ひろみとの別れを決めた「あの瞬間」 [砂漠のマスカレード★] - 暇つぶし2ch1:砂漠のマスカレード ★
21/03/05 07:28:21.58 CAP_USER9.net
1984年の大晦日。この年の『NHK紅白歌合戦』一番の話題は、年内限りで引退を表明していた都はるみのラストステージだった。─現在では一応そう伝わるが、実際はそれだけではなかったと言い切れる。
神田沙也加の「不倫騒動」禍で行われた松田聖子「奇跡のディナーショー」
当時13歳だった筆者の関心は、都はるみより一組のカップルの去就に向けられていた。それは田舎の中学生だけでなく、「国民の関心事」と言い換えてもいいのかもしれない。
カップルとは、郷ひろみと松田聖子である。
交際3年半。「結婚間近」の空気は列島に染み渡り、特にこの時期は情報が錯綜していた。
そこでNHKは、紅白の舞台で、二人に“競演”させている。オープニングでは手をつないで登場させ、それぞれの出番においては色を添えるようなダンスパフォーマンス。心憎い演出である。
オープニングの様子は、現在YouTubeで視聴できる。「松田聖子さんには郷ひろみさん、今年最も話題を呼んだ二人の対戦です」という生方恵一アナの進行に引っ張られるように、タキシード姿の郷ひろみと黒のドレスの松田聖子が舞台中央に歩を進める。
生方アナもこの二時間半後に、芸能史に残る大失言をしようとは夢にも思っていなかったはずだが、ともあれ、「一年の締めくくりとして頑張ります」と言う聖子に「ダイナミックにやります」と返すひろみ。仲睦まじい様子に「来年の紅白では、二人は夫婦になっているのだろう」と筆者は感じた。
そもそも、松田聖子は中学生の頃から、郷ひろみの大ファンだった。
コンサートにも足を運んだし、ファンクラブにも入っていたらしい。1978年にアイドルの登竜門「ミスセブンティーン・コンテスト」に応募したのも、全国大会のゲストが郷ひろみだったからだ。
コンテストの九州大会で優勝し、全国大会の切符を掴んだ蒲池法子(本名)だったが、父親の反対で出場は許されなかった。それでも芸能界の道を諦めず、サンミュージックにスカウトされ、80年に歌手デビュー。一躍人気アイドルにのぼりつめた。
郷ひろみとの熱愛が報じられたのは、一年後の1981年5月24日。報知新聞が一面で「聖子・郷結婚!」。日刊スポーツは芸能面で「結婚へ! 郷ひろみと松田聖子」と書き立てた。それでも、松田聖子の人気は下降するどころかむしろ上昇し、一介のアイドルを超えた存在へと肥大化していく。
しかし、年が明けた1985年1月22日、大ニュースが列島を駆け巡った。その日発売の『週刊文春』(1985年1月31日号)で、松田聖子が郷ひろみとの別離を告白したのだ。それを受けて、映画の撮影が行われていた砧撮影所で、急遽会見が開かれた。
「好きで愛し合って別れるんだから、今度生まれ変わって来たときには、きっと一緒になろうねって言いました」
嗚咽混じりのコメントを、この時期耳にしなかった日本人はいなかったのではないか。そう思わせるくらい、テレビのワイドショーで繰り返し流された。泣き言が流行語となったのだ。諸事情はともかく、松田聖子の言葉選びの秀逸さには舌を巻くほかない。
問題はここからである。涙の破局会見からわずか10日後、驚天動地のニュースが舞い込んだ。

URLリンク(news.yahoo.co.jp)
3/4(木) 14:01配信


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