20/06/29 14:35:35.36 Ee+X4mgl0.net
なんか大した確執でもなかった
たったこれだけのことで憎まれたママン可哀相
青木さやか「娘に触れる母に抱いた嫌悪感。最期にわだかまりを解消しようとして」
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父と母との思い出―特に幼少期の思い出は、お世辞にもいいものとは言えません。私、両親にほめられた記憶がないんです。
2人とも教師で、仕事が忙しく、私と3歳下の弟は、母方の祖母に世話をしてもらっていました。地元では「学校の先生をしている青木さんの家のお子さん」ですから、成績にうるさく、ふるまいや発言にしても、細かくしつけられました。
特に母親は、最後は小学校の校長まで務め上げた、地元では名の知られた人でした。私はそんな、何よりも世間体を気にし、嫌と言うほど私にいろいろなことを注意していた母が、父と離婚したことにも納得がいかなかった。
離婚後は母と弟と私の3人で暮らしていましたが、次第に、母が押しつけてくる価値観に激しく反発するようになっていきました。母は「就職するなら公務員がいい」というように、一方的に決めつけてくるタイプ。それが嫌で、じゃあ、公務員にだけはならない。母が嫌がることにチャレンジしよう、と決めました。母への反発が30代の頃の原動力だったとも言えます。
いま思うと、私は親にありのままの自分を認めてほしかったんでしょうね。ここにいるだけでいいよ、と言ってほしかっただけだと思います。両親に認められなかったことがコンプレックスだったのか、私は自己肯定感が低い人間になっていました。タレントのお仕事をしてほめていただいても、自信がないから信じられない。いくらスケジュールが埋まっていようとも、苦しかったですね。