20/06/07 05:06:42 odfoFvh30.net
松田さんと過ごした日々の思い出は、寺島の心の宝箱に今も大切にしまってある。
「稽古場の洗面所でうがいをしていたら、優作さんに静かに叱られたことがあったんです。
俺のうがいの仕方が下品だったんだろうね。“稽古場は神聖な場所。
そういううがいなら、トイレでやってこい”って。でも、優作さんはそれだけでは終わらない。その後、飲みに連れていってもらったときに、“さっき言った意味、わかるか”って聞いてくれた。“俺のことを本当に思ってくれているんだな”って感じて、ジーンとしましたね」
北野武監督の言葉に一喜一憂
当初は芸能界入りを反対していた両親も、息子の活躍を陰ながら応援するようになっていた。
「父からは、“作品を見たぞ”と直接言われたことはなかった。でも、“あんたが出演したドラマを、父さんが夜中に1人で見てたよ”って母から聞いて……」
このころ、寺島は初舞台を経験するなど、活動の幅を広げつつあった。“斬られ役”とはひと味もふた味もちがう役者としての表現があることを知り、新しい世界を見た気がしたという。
時を同じくして、最愛の父が亡くなった。遺影を前に浮かんだのは、かつて父がくれた“好きな道に進みなさい”という言葉─。
「後悔のないように生きよう、自分が目指す道に進もう。
そう考えたとき、やはり本当にやりたいのは、殺陣師ではなく役者なんだとはっきり気づいたんです」
役者をやりたい。
その意志を確固たるものにしたのが、北野武監督の存在だった。当時、北野監督は、
“芸人・ビートたけし”としての枠を超え、映画監督に挑戦しようとしていた。
寺島は、北野監督が初めてメガホンをとった『その男、凶暴につき』のオーディションに参加し、ヤクザの手下役をつかみ取る。