森達也、事あるごとに日本人は民度が高いとか気高いとか崇高とか世界が称賛しているなどと発言する人は、民度が低いと思う [牛丼★]at MNEWSPLUS
森達也、事あるごとに日本人は民度が高いとか気高いとか崇高とか世界が称賛しているなどと発言する人は、民度が低いと思う [牛丼★] - 暇つぶし2ch588:名無しさん@恐縮です
20/06/05 16:14:22 KeG6OCNq0.net
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当時、広島市総務課長だった小野勝氏が次のように書いている。
「水を売ったような静けさも御言葉が終わると同時に破れた、
ドッと上がった万歳の声、再び飛ぶ帽子、舞うハンカチ、溢れる涙、
こんな国民的感激を、こんな天皇と国民との感情の溶け合いを、何時、何処で、
誰が味わったであろうか」(小野勝「天皇と広島」広島文化社S24年)

全国巡幸 国民を慰め、励まされるための旅『産経新聞』

天皇巡幸  全国を巡幸中の昭和天皇が被爆地の広島市を訪問した。護国神社跡広場を埋め尽くした7万人の市民は
人間宣言をした象徴天皇を万歳で迎えた。帽子を振って応えるその先は爆心地方向で、原爆ドームが見える。
右は広島県商工経済会ビル=1947(昭和22)年12月7日 URLリンク(imagelink.kyodonews.jp)
URLリンク(ironna.jp)

この様子を見て恐怖心を抱いた米国人がいた。“目付け役”として随行していたケントというGHQの民政局員である。
侍従としてお供していた徳川義寛(89)=後に侍従長=も「ケントという変な男がついてきてあれこれ探っていた」と証言。
広島の会場をそれまでの「奉迎場」から「歓迎場」と名称を改めさせたのもケントらだった。
「昭和天皇の御巡幸」(鈴木正男著)によると、「原爆が投下された広島市民は天皇を恨んでいなければならないとケントは思った。
しかし、市民は熱狂して天皇を迎え、涙を流して万歳を叫ぶ。天皇制廃止論者のケントは怖くなった。このままご巡幸を続けてると、
天皇制はますます確固不動になる。ご巡幸をやめさせねばならないとケントは考えた」。
 民政局は巡幸の中止を政府に働きかけることにする。


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