【野球】藤田平氏、納得できなかった…まさかの“解任通告” 約9時間半に及んだ“籠城会談” [砂漠のマスカレード★]at MNEWSPLUS
【野球】藤田平氏、納得できなかった…まさかの“解任通告” 約9時間半に及んだ“籠城会談” [砂漠のマスカレード★] - 暇つぶし2ch1:砂漠のマスカレード ★
20/05/30 13:02:33 ljmYj1x79.net
阪神の暗黒時代、球団や選手に対する厳格な姿勢から「鬼平」と呼ばれた将がいた-。虎生え抜き選手初の名球会打者でもある元監督の藤田平氏(72)=デイリースポーツ評論家=が、1995年に就任した2軍監督時代から1軍監督を途中退任した翌96年までを述懐する。「最悪」と衝撃を受けた現場復帰当初のチーム状態から、新庄正座事件、桧山の4番抜てき、そして深夜にまで及んだ“籠城会談”など激動の虎を振り返る。(文中は敬称略、役職は当時)

  ◇  ◇

 席を外されたのは3度だったと記憶している。約9時間半に及んだ“籠城会談”は、1996年9月12日。遠征先の横浜への移動前だった。

 藤田は三好一彦球団社長から連絡を受け球団事務所へ赴く。そこで突きつけられたのは“解任通告”。久万俊二郎オーナーから翌年への期待の言葉も受けていただけに受け入れられない。午後5時から始まった話し合いは日をまたぎ、深夜2時半まで続いた。

 「三好さんから『(監督を)退いてくれ』と。途中、三好さんは3回席を外した。(会談での)やり取りを電話で(久万オーナーに)話したりしてたんだと思う。こちらとしては『(回りくどいから)3人で話しましょう』と言ったけど、オーナーも出にくかったんやろうな。こちらは、ある人を通じて『来年も』と聞いていたし」

 第三者を通じてだが“続投”と聞いていた。「久万オーナーと月に1回は会っていた。手塚さんと3人で」。当時、電鉄本社社長で後に久万の後を受け球団オーナーに就く手塚昌利を交えての会談。球団側とは翌シーズンに向けた意見も交わしていた。

 「おれ、辞める会見してないんや」。どうしても納得できなかった。だから応じなかった。三好と会談した12日には報道陣が集められ「藤田退任」の発表会見が行われる予定だった。だが三好との会談で決着が付かず、改めて翌13日に会見が開かれる。

 その際、藤田は三好から会見同席を求められたが「こちらは何の記者会見も分からなかったし帰った。納得してなかったし」。この日から藤田は休養に入る。

 我慢が続いた96年。補強といえば金銭トレードで加入した平塚克洋くらいだった。前年から在籍したグレンとクールボーの両外国人選手は6月に退団。それに伴い野手でクレイグとマースを獲得したものの、結果は出なかった。

 チームの不振に不満を持つファンと、移動の新幹線で対話したこともある。「『話がある』、というので『それでは話をしましょう』と」。立て直しに懸命だった。

 「中村吉右衛門のが好きなんや」。時代劇専門チャンネルで再放送されていた「鬼平犯科帳」を、たまたま目にしたのは2019年6月。確かその時は、高山俊や近本光司への期待の言葉を口にしながらの視聴だった。チームを論じる際は熱を帯びる。ただ、若手選手の話題には、語りかけるような口調になることがある。

5/30(土) 9:00 Yahoo!ニュース
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)


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