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美空ひばり『川の流れのように』の裏話、秋元康の「もう1回歌ってもらえますか」にスタジオ凍り付く
2/13(木) 14:51 Techinsight
writer : maki
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美空ひばりさんが1989年6月24日に52歳で亡くなる前、最後に発表したシングルが『川の流れのように』(1989年1月11日)だった。作詞を手掛けた秋元康は、後にAKB48の総合プロデューサーとして一世を風靡することになる。
そのAKB48で初代総監督を務めた高橋みなみが、2月8日に放送された福岡ローカルの旅バラエティ番組『ちょっと福岡行ってきました』(TVQ九州放送)で『川の流れのように』を巡る美空ひばりさんと秋元康の貴重なエピソードを明かした。
12歳でデビューして「天才少女歌手」と注目を集め、やがて「歌謡界の女王」と呼ばれる存在になった美空ひばりさん。演歌や歌謡曲のみならずジャズまで歌いこなす才能は今でも高く評価されており、桑田佳祐がラジオ番組で「美空ひばりと松田聖子は天才」と絶賛したことがあるほどだ。
そんな美空ひばりさんだけにレコーディングでも1回歌えば「100点」のパフォーマンスを見せて、関係者が「これで大丈夫ですね、素晴らしいです」とOKを出すのが常だった。
『川の流れのように』のレコーディングも一発で「素晴らしいですね、じゃあこれで」という流れになるはずだった。しかし、秋元康が「すみません、もう1回歌ってもらえますか?」と要望したのである。
レコーディングスタジオにいた関係者がピリつくなか、当の美空ひばりさんは落ち着いたもので「わかったわ~」と応じてもう1回歌ったところ、さらに素晴らしいものになった。
そのエピソードを明かした高橋みなみは「美空ひばりさんに『もう1回歌ってもらえますか』と言ったのは秋元さんが初めてらしい」という。
当初はアルバム『川の流れのように~不死鳥パートII』(1988年12月発売)からポップス調のナンバー『ハハハ』をシングルカットする予定で、スタッフの意見は決まっていた。
しかし美空ひばりさんが、自分の人生とアルバム表題曲『川の流れのように』の歌詞を重ねて「お願いだから、これだけは私に決めさせて」とシングルカットを熱望したというエピソードは有名だ。
作詞した秋元康は彼女の『川の流れのように』に対する思いを誰よりも分かっていたからこそ、可能性を信じて「もう1回歌ってもらえますか」とさらに踏み込めたのではないだろうか。
(以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)