19/11/20 13:28:44 ok/Q0QdQ9.net
【プロ野球死亡遊戯】平成助っ人賛歌
年俸わずか2600万円の格安助っ人
1988年(昭和63年)10月29日、セガ・エンタープライゼスの『メガドライブ』が世に出た。
ボイヤー、シピン、ミヤーン、レオン、ポンセ、パチョレック、レイノルズ&ブラッグス「大洋から横浜、低迷期を彩った助っ人の系譜」/プロ野球20世紀の男たち
ついにファミコンの8ビットゲーム機から、16ビットマシンの時代へ。
漆黒のボディで金色に輝く「16-BIT」の文字は未来そのものだった。
……しかし、今年夏に発売された『メガドライブミニ』収録の本体同時発売ソフト『スペースハリアー2』で遊んでみたら驚愕の難易度である。
キャラ移動中に木にぶつかっただけで即死のめちゃくちゃシビアなゲームバランスから、当時の子どもたちは社会の理不尽さを学んだものだ。
時はバブル絶頂期、ジャンプコミックス『こち亀』63巻では「東京土地なし派出所の巻」にて都心の地価高騰のあおりで立ち退きを迫られる派出所の様子を描いている。
そんなバブルマネーで潤っていた日本にひとりの無名の外国人野球選手が来日する。
ただ、当時流行りの有名絵画を買うように現役バリバリの大物大リーガーを連れてきたわけじゃない。
メジャー通算23安打、2本塁打とほとんど実績のないマイナー・リーガーである。
横浜大洋ホエールズと契約したジム・パチョレック、年俸はわずか2600万円の格安助っ人だ。
日米大学野球では全米四番を務めたこともあり、ポーランド系の血を引く精悍な顔立ちに身長190センチ、93キロの立派な体躯で、
スーパーマリオ似のカルロス・ポンセと並ぶ大砲候補と思いきや、キャンプから非力さを指摘され、
評論家からは「バットが出にくそうなクラウチングスタイルの打法は日本で通用しない」なんてダメ出しを食らう日々。
27歳の若くしての来日について、パチョレックは『週刊ベースボール』の直撃インタビューにこんな言葉を残している。
「若いのに、というかもしれないが、若いからこそ、いろいろなことを経験してみたくて日本に来た。
それに3Aでの待遇よりも、日本で働いたほうがずっといい生活ができるからね」
おおっ、転職時の面接で思わずパクりたくなる若者らしい前向きな発言である。
5人兄弟の末っ子で、兄のジョンやトムは元大リーガーだ。そんな古き良きアメリカを象徴するかのような野球一家に育ち、
パチョレックは3A時代にチーム最高の年間62四球、チーム2位の出塁率.397をマーク。
外野に一塁と三塁を守れる便利屋のような立ち位置で、本塁打こそ毎年1ケタだったが、
右への流し打ちやボールに食らいついていく姿勢とガッツあふれるプレーを大洋の牛込惟浩渉外担当に評価された。
すると昭和最後のシーズンとなった88年の来日1年目から、度々打撃フォームを日本人投手用に変える研究熱心さを発揮し、
正田耕三(広島)や篠塚利夫(巨人)と首位打者を争う活躍を見せる。
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
11/20(水) 11:02配信
URLリンク(column.sp.baseball.findfriends.jp)
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大洋・マイヤー、パチョレック連続ホームラン
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阪神-ヤクルト 亀山努の復帰第1号ホームランとパチョレックのサヨナラタイムリー
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阪神 パチョレック
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成績