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2017年に行われた眞子さま(27)と小室圭さん(27)の婚約内定会見後に明らかになったのは、圭さんの祖母が新興宗教の信者だったという“宗教問題”だった。
さらにこのたび、母の佳代さん(53)も帰依していたことが明らかに。
教団の名は「大山ねずの命神示(おおやまねずのみことしんじ)教会」という。
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こうした小室家の新興宗教問題は、美智子上皇后や宮内庁幹部らの憂慮の念を更に大きくしているという。過去の悪夢が甦るからだ。
ここからは皇族方と新興宗教との関わり合いである。
1960年代から70年代にかけて、昭和天皇のお后である香淳皇后の絶大な信頼を得ていた女官がいた。
他方、宮内庁幹部らは彼女を「魔女」とまで口を極めて罵り、忌避していた。
事実、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政(すけまさ)の日記に、〈皇后さま七度八分。
お歯がもとらしいが魔女の一言で侍医にお見せにならない由〉などと、登場している。
オクと呼ばれる皇后側近の間でも、「魔女派」と「反魔女派」とに分かれて対立が激化。
皇后は、望んでいた71年の訪欧にこの女官を同行できなければ〈ヨーロッパはやめる〉とまで仰った。
報告を受けた昭和天皇は〈そんなに言ふことをきかなければやめちまえ〉と、この女官の罷免を強い口調で求められている。
なぜ一女官が魔女と呼ばれるほどに恐れられ、一方で皇后の寵愛を受けたのか。
主たる理由はオカルトを措いて他にない。
女官は塩谷信男という人物を皇后に紹介し、60年代から皇后の膝などの“手かざし治療”にあたらせていたのだ。
先の入江の日記に、〈魔女を呼びつけて塩谷と親類とはどういう関係か(略)〉などと登場する彼は、東京帝大出身の医師ではあるものの、手かざし療法や心霊研究でも知られている。
71年7月、女官は失意の中、オクから追放されたが、
「『魔女』事件は、皇室神道の伝統を守る宮内庁ではトラウマとして記憶されています。
相前後してもう一つのスピリチュアル案件が登場し、これも負の歴史として刻まれているのです」(宮内庁関係者)
香淳皇后には昭和天皇の顔面痙攣というお悩みがあり、ちょうど訪欧の頃、その症状はテレビ画面を通じてもハッキリ見て取れるほど激しくなっていた。
侍医たちもお手上げ状態だった中、少なからぬ数の病気を治癒してきた人物の存在を皇后は聞かされる。
それが、「大真協会」の椿麗寿(れいじゅ)会首で、間を取り持ったのが“魔女”とは別の現職女官だった。
>>2に続く