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六大学野球―六大学はなぜ六大学なのか… 現代書館
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六大学候補 最後の2校
東京六大学とはいうまでもなく、六大学野球リーグに参加することになった六つの大学を指すもので、
野球リーグ以前から「六大学」が存在していたわけではありません。したがって、現在の6校が
固まる前であれば、別の大学が「六大学」の一角を占めていた可能性は十分あったわけです。
具体的には、早・慶・明、それに法の参加まではものの流れとして動かなかったと考えられますが、
残り2校がどこになるかは予断を許さなかったわけです。
青山と明治学院
明・法との因縁がないミッション系の大学、ということなら、東京英和(→青山学院)や明治学院も
条件は立教と変わりません。それどころか両校とも伝統と実力を備えた野球部を抱えていたのです。
5番手、6番手として白羽の矢が立ってもおかしくはありません。ところが皮肉にも、この伝統こそが
両校の大学リーグ入りを困難にしたのです。
慶應と明学とは三田と高輪(白金)でキャンパスも近く、古い付き合いがあったように、
早稲田と青山との間にも密接な関係があったようです。というのも、早慶戦の応援合戦が過熱し、
一触即発の様相を帯びてきた頃、早稲田の応援席に青山の応援団や学生が大量に
紛れ込んでいたことがわかっているからです(注)。
この辺の事情はもう藪の中ですが、六大学結成期の早・慶はなお「ともに戦わず」と対立を崩して
いなかったので、青山が大学リーグに加盟するのは困難だったと予想されます。同様に明学だけを
加盟させるのもまた難しかったと思われます。早・慶の対立に油を注ぐ結果になる恐れがあるからです。
(注)六大学野球部物語
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その時の応援団は、早大生600、早中、早実生500、
青山学院生等で形成されていたのであるが、
早中・早実生の参加は当然視されてもよいが、
青山学院生の参加は、今考えると意外である。