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『新版大東京案内』(昭和4年)
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一ぺんでも六大学のリーグ戦を見たものならば、あの熱狂した、スタンドから遠く外野に埋まつた
数万人の大観衆を前にして、次の一球を鋭く覗つてゐるヘビー・バツターに何処か英雄的な、
花形俳優の如き感銘を得たに違ひない。
歌舞伎座の「木曽街道膝栗毛」が珍しく二ヶ月ロング・ランをやつたからといつて、
その観劇料は、到底一日の決勝戦に集つた野球フアンの盛大な記録には適はないだらう。
試みに昭和四年の春のリーグ戦で最も白熱的な人気を呼んだ早慶戦の入場料をこゝに記すと、
実に四万円を数へてゐる。
しかもグラウンドに入るには、その試合が伯仲して予想を許さぬやうな時だと、その場で切符を買つて
入場するといふやうなことが中々できない。自然熱心なフアンになると、前夜からグラウンドの前に
詰めかけて、弁当持ちで、野宿する。一番電車で駆けつけるやうなフアンなどは、ザラである。
これは実際、遊蕩気分が少しでもあつたら、真似の出来ないことである。芝居か映画を見るやうな
心算で出かけて行く人達は、あの二列に並んだ蜿々たるフアンの行列を一見して、如何にスポーツ熱の
盛んであるかを今更ながらに知るだらう。入場料こそ五十銭と一円だが(尤も指定席もあるが)
後れて行つて入れぬフアンにとつては、五円でも六円でも買ひ取りたくなるのも、だから今では決して
不思議でない。遠く近くのスタンドに収まつて頻りと贔屓にする学校や選手の名を応援してゐる
床屋の親父も、唐物屋の番頭も、だから皆この純真な行列に加はつて始めて無邪気に熱狂してゐるのである。