19/05/27 14:50:50.64 8u6fqr0l0.net
>>599
その通りだよ。骨格としてはそれが正解。
俺の言うポゼッションにおける考え方はより細部なものであって上でも挙げたように手段でなければならない。
それを目的化してきた過ちがここ最近の日本サッカーでね。
ただどんな哲学であろうともボールを繋ぐというのは常に付きまとうのがサッカー。そのポゼッションを手段とする考え方として日本サッカーにおける日本化のためにはおっしゃる通り守備な訳だよ大事になるのはね。
その守備から攻撃に向かう際のワンプレーのポゼッションの精度には的確な守備のポジショニング立ち位置が不可欠で相手のトランジションを掻い潜る必須事項でもある。
謂わば、的確な守備が出来ていないと的確なポゼッションからトランジションで奪いに来る相手を掻い潜る事が出来ないという「守備から考えられたポゼッションにあける立ち位置」の考え。この部分がまだ日本では意識も精度も低いのよね
。勢い任せな段階。
ポゼッション=攻撃という考え方を骨格形成に持ち込む事が間違いなんだよね
そういう意味では当時の鹿島や磐田は
まさに上の立ち位置と守備明けの相手のトランジションを掻い潜る細部におけるポゼッションの成功率は凄まじかった。
そして両者とも得点数は多かったし、圧倒的強さを誇っていたが、決して攻撃的とは呼ばれていなかった。
これがヒントであり答え。
攻撃的守備的という括りに囚われている内は日本サッカーはまだまだ未熟だという事。