19/05/07 10:32:34.04 oYKkyhHV0.net
>>282
ストックホルム五輪で途中棄権した後の言葉。
「この重圧を全うすることあたわざりしは、死してなお足らざれども、死は易く、生は難く、その恥をすすぐために、粉骨砕身してマラソンの技を磨き、もって皇国の威をあげん」
TVで見るようなチャラい男ではなく、皇国史観ど真ん中の男、戦前教育者の権化となる。
東京高等師範学校(現・筑波大学)に入学し、以後、教師、兼、長距離走者となる。
戦時中、自らは戦地にはいかず、数多くの若者に戦前教育を施し、戦地に送り出した。
第二次世界大戦終戦時は54歳。
戦後は、体育会の重鎮となり、余生を全うした(92歳没)。