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朝鮮人の略奪
敗戦後の日本人資産の略奪を 現地人の目から見た貴重な証言
「朝鮮戦争の真実 -元人民軍工兵将校の手記-」 朱栄福 1992年 悠思社
1945年8月8日ソ連が日ソ中立条約を破って対日宣戦を布告し満州と朝鮮に侵攻して
きた。15日の夜、羅南の日本軍当局は最後の破壊作戦に出て、全市の軍事施設に火をか
けて焼いた。その夜、ぼくは鏡城の北にあたる山の上から、炎上する羅南の赤い空を眺め
ていた。
(中略)
羅南の軍事施設が燃えた晩、市内は無人地帯であった。数千人の日本人は、臨時疎開して、
すぐ帰るつもりであったかもしれぬが、市が燃え尽きても、ついに一人も戻らなかった。
日本人は永遠に去ったのである。帰ってきたのは全部朝鮮人であった。彼らは、防空壕か
らはい出し、あるいは郊外の避難先から、続々戻ってきた。
火災の翌日、いたるところに余燼のくすぶる市内で、物資あさりの騒乱が始まった。窓も
門も開け放しのまま去った日本人の空き住宅、商店、倉庫などにアリのように人間が群が
った。家財、衣類、食器、装飾物、楽器、娯楽品、靴、傘、書籍、自転車、あらゆるもの
をかっさらい運び出すのに忙しかった。町全体が怒鳴り合い、奪い合い、誰もが目を皿の
ようにして走っていた。
ある人はトランクを担いで逃げる。ある人は自分の体よりも大きい布団袋を引っ張って
走る。ある人はリヤカーに山ほど積んで汗を流しながら家に急ぐ。ある婦人は衣類をいっ
ぱい頭に載せオーバーを抱えて土手にのぼる。ある老人はチゲ(背中に荷物を担ぐ時に用
いる木製の背負子)の上に衣類ダンスを担いで走る。
みな走る、ぶつかる、ののしる、宝物を求めて、より大きい高級住宅に入る。先着の略奪
者は血相を変えながら部屋から部屋に出入りする。集めた品物から目を離したとたん、別
の者が担いで逃げる。 家に持って帰っても、また出ていくと、その間に誰かが来て持ち
去る。こういう時には誰も安心できない。隣り近所、みな疑心暗鬼である。避難先から帰
りの遅れている肉親をののしる。だからといって呼びに行く暇もない。
―あのとんま野郎!こういう重大な時に家にいさえすれば、いっぺんに大金持ちになれ
るのに・・・! 二、三千軒の日本人民間住宅と商店、数百件の焼け残りの軍用官舎は、
わずか五、六時間でスッカラカンになった。 ・・・・・・