【話題】 “1億光年に一人の美少女” 長久玲奈(17)に批判の声が殺到 ★2at MNEWSPLUS
【話題】 “1億光年に一人の美少女” 長久玲奈(17)に批判の声が殺到 ★2 - 暇つぶし2ch204:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/12 03:16:18.55 .net
天文単位にしろよ

205:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/12 03:17:34.97 .net
すごい鼻

206:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/12 03:24:22.21 .net
詐欺だな

207:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/12 03:27:24.34 .net
女芸人に1人の美少女の間違い

208:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/12 03:27:38.89 .net
ちょうなんだから、
もちろん
日本人じゃねーな。

209:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/12 03:30:52.12 .net
長・久玲奈なのか
長久・玲奈かと思ってた

210:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/12 03:31:52.37 .net
一般人じゃん

211:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/12 04:22:40.96 .net
何だこのアマガエルは

212:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/12 08:44:32.09 .net
最近は50年に1度や100年に1度の災害が年に数回起こっているから、美少女遭遇率も何か大フィーバーしてるんだろ。
ただ時代が数千年はやかったのかもしれない。

213:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/13 01:37:34.40 .net
はいはい
あと一億光年先までそのブスなツラ見せんなよ

214:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/13 01:39:56.74 .net
>>1
何の罪もない少女を過剰に持ち上げて底辺層に妬ませてバッシングさせてアクセス数を稼ぐという最低のビジネスモデル

215:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/13 01:41:31.26 .net
目整形だろこれ

216:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/13 01:42:58.58 .net
なに、このブサは。
冗談は顔だけにしろよ。

217:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/13 01:53:19.50 .net
>>1
まーた始まったよ
業界人が流行らそうとしてる癖して『ネットで言ってた』パターン
秋豚一派が時代遅れのアホだとわかる流れ

218:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/13 02:00:55.61 .net
一億光年程凄いブスなんだな了解

219:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/13 02:05:07.11 .net
1億光年見続けてれば美少女に見えるかも的なアレだろ!()

220:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/13 02:07:28.38 .net
>>1
画像見た感想は1億光年どころか美少女ですらないw

221:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/13 02:09:15.71 .net
ほう、1億光年すべて見渡したのか。
このキャッチコピーを考えたやつは、死ぬまで毎年ノーベル賞受賞だな。

222:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/13 02:17:19.14 .net
長さん「ダメだこりゃ」

223:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/13 02:28:02.64 .net
もはや不細工の形容詞になりつつあるよなw

224:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/
17/09/13 02:32:30.86 .net
長氏(ちょうし)は、日本の氏族のひとつ。
能登の国人領主。畠山七人衆であるとともに加賀八家の一つ。
はじめ姓は「長」ではなく「長谷部」であった。
鎌倉時代、鎌倉幕府の御家人となった長谷部信連より始まるとされる。
信連は鎌倉幕府から能登大屋荘を与えられて領主化した。
その子孫が「長」姓に改めたのである。
室町時代に入ると、能登畠山氏の家臣として仕える。
長氏で最も著名な人物は、第18代当主となった長続連、その息子で第19代当主・
長綱連、第20代当主・長連龍らの親子である。
続連は能登穴水城主で、もとは平加賀秀連の次男だったが、第17代当主・長英連の
養子となって長氏を継いだ。
続連は畠山義続の時代から畠山七人衆の一人として暗躍した。
やがて能登に織田信長の勢力が伸張してくると信長と誼を通じて上杉謙信に
通じた遊佐続光らを中枢から遠ざけ、子の綱連と共に幼君の畠山春王丸のもと、
実権を掌握した。
天正4年(1576年)、上杉謙信による能登侵攻を受けるが、続連主導のもと、
七尾城に立て籠もって一度は撃退する(七尾城の戦い)。
しかし天正5年(1577年)、謙信の再侵攻を受け、その籠城戦の最中に城内で
疫病が流行って進退に窮し、最後は謙信と内通した遊佐続光らによって
続連、綱連ら長一族は大半が殺されてしまった。
このとき、長一族で生き残ったのは、続連の次男で信長のもとに援軍要請に
赴いていたために命拾いした長連龍と、綱連の末子で七尾城から乳母に
抱かれて脱出した長菊末丸のみである。
後者はのちに京都清浄院で僧侶となった。
連龍は父や兄の死後、長氏の家督を継いで織田信長の家臣となって能登攻めに
抜群の功を挙げて父の仇である遊佐続光らを討っている。
天正10年(1582年)に信長が死去すると、七尾城主となった前田利家に仕え、
以後は前田家に臣従した。


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