17/08/16 14:16:39.43 4MgMj/Cj0.net
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↓よく読め!(`・ω・´)
> 四、事変解決に対する本田少将の熱言
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> 翌二十五日の午後私は海軍武官室に旧知の沖野中佐を訪問した、沖野中佐は私の親友の岡野海軍
> 大佐の後輩であつて、数年前岡野大佐の紹介に依つて知り得たのであるが、尉官時代から度々支那
> を往来し、今度の任務も既に五ケ年間経続して居るので有数の支那通であると言はれ、恐らくは南
> 京の駐在武官中原大佐に次ぐ権威者ではないかと思ふ。中佐とは久濶を叙し中支政権樹立に就ての
> 色々の苦心談も承り、大体の閣員の様子も伺ふことが出来た、その中海軍武官の本田少将が見えた
> ので、少将の部屋に行つて一時間ばかり色々意見を承り、又議会の模様をお伝へもした、少将は岡
> 野大佐から私の事を聴いて居たので、初対面であつたに拘らず、非常な親しみを以て色々話して呉
> れられたのは嬉しかつた、少将の意見では、今度海軍としては陸戦隊始め飛行隊は勿論のこと、制
> 海権を把握する為に支那方面の全鑑隊の将兵の苦労が一方でなく、又犠牲者も多くを出したことで
> あるから、もうこの様な戦争は三度とは嫌である。戦禍が斯くの如く拡大した以上は今度という今
> 度は如何なる犠牲を払つても、問題を根本的に解決して、斯んな事態を今後再び繰返さないことを
> 熱望する、貴方が日本へ帰へられたら朝野にこの点だけは強く訴へて貰ひたいとのことであつた。
> 私は少将の話を聴いて、寔に尢もである、政府の責任も極めて重大であるが、国民の覚悟も又尋常
> 一様であつてはならぬといふことを痛感した。中支、南支方面の日本在留民に就いていへば、満洲
> に事が起これば中南支の事態が悪化し、北支に事を生ずれば同じく中南支に排日・抗日の気勢が挙
> つて、我同胞が多年苦心して築き上げた事業も根柢から破壊され、中南支の在留同胞に就ては深甚
> の同情を有たざるを得ない。我々思想問題並に政治に関係する者としては□この中南支の軍民の苦
> 労に就ては充分なる理解を持ち善処しなければならぬと、私もつくづく決心する所があつた。私が
> 今日各方面に対して大陸経論の根本策の樹立並に其の遂行に就て訴へるのも、現地に於ける斯かる
> 空気に依つて醸成されたに外ならんのであります。少将の部屋を辞して直に車を走らして大川内陸
> 戦隊司令官の本部を訪ねた、暫らく待つ間に見るともなくふと応接間の一隅の硝子戸の棚の中に彼
> の新聞やラヂオで有名である、白ハンカチを振つて墜落した梅林大尉の鉄兜其他の遺品を見て感慨
> 無量であつた。暫くすると近藤少佐が迎へに来られて大川内司令官にお目に掛つた、そして私は先
> づ第一に陸戦隊の勇猛果敢及び海軍飛行隊の功績、厳正なる軍規等は全国民の驚歎感激の的である
> ことを伝へて感謝の意を表した。ところが、無口の少将もさも満足さうな様子をされた。そして私
> が、私達の経営して居る多摩帝国美術学校の彫刻科の講師小島君が梅林大尉と同郷の故を以て、銅
> 像を作つて寄贈したが、これがラヂオで全国に放送されて有名な話になつて居ると話したら、近藤
> 少佐は、大尉は自分の愛弟であると言つて非常に感激した様子であつた。時刻は夕飯時に近附いた
> ので直に辞して宿へ帰つた。