【映画】大ヒット『シン・ゴジラ』を観た人が語りたくなる理由at MNEWSPLUS
【映画】大ヒット『シン・ゴジラ』を観た人が語りたくなる理由 - 暇つぶし2ch2:ニライカナイφ ★@\(^o^)/
16/09/04 03:06:54.51 CAP_USER9.net
>>1の続きです。
◇「文明破壊の恐怖」「戦争への脅威」を象徴
(1)は、怪獣の存在を一定のリアリティーでもって観客に受け止めてもらうには欠かせない要素だ。
ここの説明に、科学の言葉を使えばSF色を帯びるし、神話や伝承に積極的な意味を持たせれば伝奇的な世界観になる。
これは「怪獣映画」だけでなく、吸血鬼やゾンビなどが登場するモンスター映画にも見られる要素だが、両者を分けているのは、怪獣の特徴である「巨大な体」である。
怪獣は巨大な体だからこそ(2)と(3)が特別な意味をもってくるのだ。
(2)の「怪獣の都市襲撃」が描くのは、文明が破壊される恐怖である。
栄華を誇った人間の世界がみるみるうちに瓦礫がれきと化す恐怖。
これは巨大災害を描いたディザスター映画と同じ恐怖だ。
怪獣は巨大な存在であるが故に、映画の中で天変地異の象徴とでもいうべき機能を得ているのだ。
一方、(3)で描かれる人間との攻防は「戦争映画」に重ねられる。
その巨大さ故に、個人や警察機構では対処しきれない怪獣は、必然的に自衛隊、あるいは防衛軍などと呼ばれる軍隊と戦うことになる。
ここで怪獣は抽象的な「外部からやってくる脅威」を体現していることになる。
ちなにみにゾンビ映画は等身大モンスターではあるが、この3要素をかなりクリアしている。
ただしゾンビは、文明を脅かすにせよ、敵として対峙するにせよ、「内側に潜む恐怖」として描かれていて、怪獣のような「外部からやってくる脅威」とはベクトルが逆方向を向いている。
大ざっぱにわけても、この三つの要素が「怪獣映画」の中に存在しており、どの部分をどのぐらい気にかけて作品を受け止めるかは千差万別だ。
だからこそ「怪獣」はブラックボックスとして機能するのだ。
とはいえ、ただブラックボックスだからといって、自然と議論百出となるわけではない。
もちろんそこには観客の心に強く引っかかる何かが必要だ。
写真:URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
◇徹底した「プロセスへのこだわり」が生むリアリティー
『シン・ゴジラ』の場合は、「怪獣映画」の3要素をしっかりと押さえながらも、それぞれの描き方は、「怪獣映画」のクリシエ(決まり切った表現)を排した描写を積み重ねている。
クリシエを排した表現によって観客は、改めて「ゴジラ出現」という前人未到の出来事に立ち会うことになった。
例えば、「怪獣が登場すれば勇壮なマーチとともに自衛隊が出撃する」「怪獣の習性を博士が瞬時に断定する」というように、クリシエとは誰もが想像する結論へのショートカットだ。
『シン・ゴジラ』はクリシエを排したかわりに、ショートカットされている部分を埋めるため、物事のプロセスに何が起こりうるかを徹底して取材し、想像した。
この「プロセスへのこだわり」こそが、この映画のリアリティーを生んでいる源で、観客がゴジラと立ち会った感覚を得る一番重要なポイントだ。
◇架空のゴジラを「科学」で解く
たとえば、前述の(1)「怪獣の出自・性質をめぐる物語」について。
ゴジラが一体どういう生き物なのか。
ゴジラとの攻防が続く一方で、巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)のメンバーが、断片的な情報を積み上げながら、その代謝メカニズムを特定していく。
従来なら特権的な専門家が、最短距離で結論を出すようなところだが(たとえばギャレス・エドワーズ監督の『GODZILLA ゴジラ』で渡辺謙が演じた芹沢猪四郎博士はまさにそういう役割だった)、巨災対のメンバーはそれぞれの知見に基づいて、推察し、互いの意見を聞きながら、「ありうべき結論」へと迫っていく。
架空の生物ゴジラを題材にしている以上、こうしたディスカッションは完全に科学的なものにはなりえない。
むしろ科学的なターム(専門用語)をちりばめつつも、そのプロセスに「事実を見極める視線」や「仮説とその修正」、「直感的ひらめきによる前進」といった科学に必要な姿勢を盛りこんでいるところが重要だ。
写真:URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
※さらに続きます。


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