16/07/20 16:50:04.26 7ldkaoXo0.net
権力者のイヌの末路
昭和初年代に陸軍内部の皇道派将校と連携して、イデオロギー
攻勢の旗ふりを演じた学者の一群がいる。自らと立場を異にする
学者や文化人に、「共産主義者だ」「自由主義者だ」「天皇制への
反対論者だ」と、次々にレッテルを貼り、そして葬ろうとしたのである。
彼らのあまりにもファナティックな意見に、どんな立場の学者も
呆れ果ててはいたが、陸軍内部の長老や貴族院議員がときに
その意見に便乗して騒ぎたてるので恐れられてもいた。
『原理日本』という雑誌を足場にしていた国史学者・蓑田胸喜は、
その種の御用学者の典型である。
蓑田の名前は、昭和初年代から十年代の研究者や学者には
悪魔のように記憶されている。なにしろ蓑田は、一度でもレッテルを
貼ると、病的なまでにその学者を追い回し、その片言隻句を捉えては
常識では考えられないほどの罵倒を浴びせるのである。罵倒を浴びせる
だけではなく、貴族院を訪ねたり文部省を訪ねたり法務省を訪ねたりして、
「あのような不忠者を許しておくのか」とどなり回るのだ。
「あれはアカだ」「あれの書く論文は国体に反する内容だ」と社会的に
問題になるまで追及はやめない。
大学での講義や講演では、あまりにも神がかりなことをいうので、
学生たちからヤジを浴びたり、嘲笑されてしまう。そうすると、こんどは
その大学の教授の論文にケチをつけては騒ぎたてる。一説では、
滝川事件というのは、京都帝大に講演に行った蓑田が、学生たちの
ヤジと失笑にプライドを傷つけられ、それを逆うらみして学生部長だった
滝川教授の追い落としをはかったものだとさえ言われている。