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■怠惰とゴマカシの女王・浅田真央がバンクーバー五輪までの4年間をどう過ごしたか・No5
2009-10年 その2
五輪直前のGPファイナルはキムヨナ、安藤、鈴木が三強を占める。
実質予選落ちにもマオタは「荒川とコース同じ。金メダルが見えた」などと強がったが、
4年前に荒川が演技のレベルを上げるために世界中を駆け回って新技術を身につけていた
この時期、浅田はジャンプコーチもつけずに中京にこもって独自練習を続ける。
しかし着地転倒をしないことしか考えない偏った練習で、踏み切りの崩れをむしろ体に
しみこませる悪癖を定着させてしまう。
しかもこの期に及んでもタラソワコーチのもとにアドバイスも仰ぎに行かず、マスコミには
「タラソワがダブルブッキングした」「タラソワが急病で倒れた」とその場しのぎの嘘を連発