【芸能】波乱の人生も今や大臣妻 高見恭子がつかんだ理想の居場所at MNEWSPLUS
【芸能】波乱の人生も今や大臣妻 高見恭子がつかんだ理想の居場所 - 暇つぶし2ch1:砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/
15/11/19 08:54:55.82 *.net
「いい夫婦パートナー・オブ・ザ・イヤー2015」では、夫で文部科学大臣の馳浩と共に受賞したタレントの高見恭子(56)。
以前から「互いの収入も貯金も知らない」と自立した夫婦関係をアピールしていたが、
授賞式では一転「結婚してから一緒の布団でずっと寝ている」とアツアツぶりを披露した。
1959年生まれ。東京都渋谷区出身。作家の高見順(本名・高間芳雄)と愛人の小野田房子との間に生まれる。
高見順はプロレタリア文学運動に参加し、35年「故旧忘れ得べき」で第1回芥川賞候補に。
小野田房子は高見のその後の小説「生命の樹」に登場するホステスのモデルだった。
晩年は「死の淵より」など詩人として活躍する。63年食道がんを患い、4度手術したが、65年死去。
亡くなる10日前に、恭子は高見の正妻の秋子の養女となり、高間家の籍に入った。
6歳の時だった。抱かれたり、膝に乗せられた記憶がなかったが、後年、父親のことを次のように語っている。
「父親や夫である前に最後まで『作家・高見順』でした。私たち家族もそれを了解していました。
お父さんになれる人は世の中に沢山いるけど、高見順は他にいませんから」(新潮45・2000年6月号)
恭子は14歳のころ、雑誌「MC SISTER」でモデルデビュー。
すらりとした長い脚にキュートな顔立ちで人気となり、タレントとしても活躍。みずみずしい感性のエッセーも好評だった。
90年5月21日、年下の美容整形医と極秘入籍。同年9月挙式するが、同年11月離婚。
「ひらめき婚」は半年で破綻した。離婚会見では「幸せな家庭をつくり上げる途中で壊されちゃった感じ。
クシャミしていた間に全てがなくなっていたの」と泣きながら、高見の手料理を拒んで外食を好む元夫との価値観の不一致を述べた。
離婚後は、特に再婚を意識していなかったが、衆議院議員の松浪健四郎の紹介で、当時新日本プロレス所属の馳浩と1年間交際し、95年3月に再婚。
馳を紹介された翌日に母親が死去し、母の葬儀を馳が仕切ってくれたという。
バツイチ同士に加え、高見と知り合う前に馳が元巨人軍の松井秀喜の母校の石川・星稜高校で国語の教師として教鞭をとっていたことや、
愛読書の一つが高見順の「死の淵より」だったことも、2人の距離を縮めた。
95年の再婚会見で高見は次のように新たな結婚観を語った。
「明日こそ、いい日になるだろう、と思わなくなった。昨日も今日も安定していて、同じ船に2人で乗っている気分。今日は落ち着いています」
再婚した年に、馳が参議院選で初当選。その後、00年6月の衆議院選では、くら替え出馬で当選すると、周囲から内助の功を称えられた。今年で結婚20年目だ。
長女・鈴音を出産してから母親業を優先してきたが、最近は旅番組などタレント活動も増えている。理想の結婚を手に入れた才女も、気がつけば大臣の女房だ。

URLリンク(www.nikkan-gendai.com)
2015年11月19日
URLリンク(static.nikkan-gendai.com)
過去の苦労も報われた(写真左から高見恭子、馳浩文部科学大臣)


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