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●天才喜劇役者:藤山寛美の豪遊伝説
終戦からわずか3年の1948年、大阪道頓堀に誕生した松竹新喜劇に加わった
一躍スターの座に押し上げたのがアホ役
変幻自在のアホ役で日本中を笑いの渦に
寛美が演じるアホ役はどこか憎めず、人情味溢れるキャラクターばかり
一方ポライベートでは桁外れな豪遊伝説も数知れず
桁違いの豪遊伝説
藤山寛美は飲みに行く時に常に現金300万円を持ち歩いていた
飲んでいる最中に声をかけてきたファンの分にまでお金を出す
一晩で飲み代800万円も使ったことがある
現在の価値にすると何千万円
ドアマンへのチップに乗ってきたロールス・ロイスをプレゼントしたことがある
ある時、飲みに行ったクラブで誤って藤山寛美がホステスの着物にお酒をこぼしてしまった
その場にいた全員のホステスの着物をプレゼントした
藤山寛美はタクシー移動の際、たとえワンメーターでも必ず1万円を払っていた(当時初乗り100円の頃)
ダイアナ・ロスの為に用意した差し入れは現金100万円
「高額な豪遊やチップはすべて元々お客様からもらったお金だ恩返しのつもりで湯水のように金を使うのが役者だ」
藤山寛美の妻が家のキーホルダーを確認したところ見知らぬマンションの鍵が40個付いていた
●桁違いの借金
藤山寛美が37歳の時に抱えた借金は今の金額に換算すると13億円、そして破産
借金取りが楽屋にやって来たとき、舞台上の藤山寛美は借金取りが変えるまで延々アドリブでつないだ
借金取りはもちろん自宅にも
妻が外から見える場所にハンカチを結んでいると借金取りがいる合図
藤山寛美は家には一銭もお金を入れずに、妻が最後の1反まで着物を売って生活をしていたという
客席やロビーにまで借金取りがたむろするようになり、劇場に客が寄り付かなくなり松竹をクビになる
しかし寛美が抜けたことで松竹の売り上げが激減
困り果てた松竹は結局、藤山寛美の借金を立て替える事に
わずか半年で舞台復帰した
復帰公演はたちまち満員御礼となり再び劇場には大行列が出来るようになった
13億あった借金を19年間でほぼ完済した
(雑学情報より引用)
天才と、"天才と呼ばれたい人"の違い。