日航機で事故死した住銀元常務。娘(英国ハーフ・愛人の子供)に26年後の戸籍at NEWS
日航機で事故死した住銀元常務。娘(英国ハーフ・愛人の子供)に26年後の戸籍 - 暇つぶし2ch1: ダイビングヘッドバット(catv?)@\(^o^)/
15/08/21 02:54:54.45 3eF1Vhbs0.net BE:357092553-PLT(12000) ポイント特典
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住友銀行でロンドン支店長や常務取締役を歴任した銀行員、湯川昭久さんは30年前の1985年8月12日、羽田発伊丹行きの日本航空123便
ボーイング747に乗っていて命を絶たれた。56歳だった。当時、湯川さんが副社長を務める住銀総合リースは、皮肉なことに、ボーイング製の
航空機を日本航空にリースする初めての取引に乗り出そうとするところだった。
それから26年を経た2011年、湯川さんが英国人女性、スザンヌ・ベイリーさん(57)との間にもうけた二人の娘は、日本の法律に基づいて初めて、
湯川さんの娘であることを戸籍の上で認められ、日本国籍を取得し、日本人となった。ベイリーさんは12日、群馬県上野村、御巣鷹の尾根に登り、
昭久さんの墓標のそばで、二人の愛の証しとなる「戸籍」を勝ち取ったと泣きながら報告した。
湯川昭久さんは東京大学経済学部を卒業して1952年(昭和27年)4月に住友銀行に入った。国際畑を歩み、1976年(昭和51年)7月から
80年(昭和55年)までロンドン支店長を務めた。そのロンドンの地でバレリーナだったベイリーさんと知り合った。
 ベイリーさんによると、1978年11月21日、初めて会ったとき、息が止まるほどのエネルギーとカリスマ性を昭久さんに感じた。
昭久さんは、日本人の妻との間に成年に達した息子が二人いたが、79年初めには、ベイリーさんと一緒に暮らし始めた。ベイリーさんは昭久さんのことを「アキ」と呼ぶようになった。
 昭久さんは80年11月に大阪の本店に転勤。神戸に移り住んだ。ベイリーさんも日本に渡った。81年7月3日に長女が生まれた。
URLリンク(judiciary.asahi.com)


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