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Kazuhiro SEKINE @usausa_sekine
北星学園大の関連で取材をしていると、一連の問題にからみ、批判と同時に「激励」を受けることが
ありました。「間違いはどんな組織にもある。ひるまず頑張って」「バッシングなんて気にすること
ないから。どんどん昔の朝日のように鋭く突っ込んでよ」などなど。「激励」してくれる方々の多くが(続く)
個人的にはかなり「リベラル」(すいません、どういう用語を使っていいのかわかりません)なお考えを
持った方のようにお見受けしました。激励はありがたいのですが、同時に違和感もあったし、ある種の
同調圧力のようなもの(これも能力不足でうまく言語化できません。すいません)を感じてしまいました
違和感、なんでしょうか。誤解を恐れずに言えば、「朝日を批判している人たちは単なるバッシングで
よくわかっていない人だから聞く耳を持たなくていい」という趣旨に聞こえたのです。ここで感じたのは、
何というか、「リベラル」という側の人たち?、勢力?にある不寛容のような感じでした。
こういう人たちのためだけに、私は記事を書き続けることが適当だとは思いませんでした。そう期待して
いる人たちがいたらごめんなさい。でもその期待には答えられそうにありません。朝日のコア読者でなく、
朝日を読んでない人、批判する人にもちゃんと提示できる(例え批判されても)ものを書きたいし、
書くべきだと思いました。「バッシングなんて気にするな。そんなの放っておけばいい」と言ってくる
人たちに「取り込まれる」ことの、何というかある意味の「怖さ」を感じました。
私は入社するまでほとんど朝日新聞を読んだことはありませんでした。新聞記者にあこがれたことも正直
ありません。こんなことを書けば読者の皆さんはさぞ失望されるかもしれません。朝日の記者でありながら、
何となく朝日を冷めた視点で見てしまうのはここにあるのかもしれません。すいません蛇足ですね
ですが、縁あってこの会社に入り、特に行動社の皆さんからはお金を頂いて情報を収集、提供すると
いう代行の役割をさせてもらっています。最低でもお給料分はその役割を果たしたいと思っています。
残念ながら能力不足で完璧に果たしているとは言えないところが申し訳ないのですが...。
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