14/05/25 23:32:15.39 vwh3zSpF0 BE:487816701-PLT(13001) ポイント特典
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千葉県香取市にある特別養護老人ホーム「杜の家」。ここは、2008年8月に外国人介護士の第1陣として
インドネシアから来日したスウォト君(29歳)の就労先だ。
この日の勤務が終わりに近づいた午後4時半、スウォト君が2階フロアの一角の机でノートを開いた。
〈リビング内でウロウロされていることがある。トイレの声かけすると「はい」と言われる。トイレへゆうどう。便多量……〉
慣れた手つきで、入居者の様子を日誌に記入していく。日本語でボールペンを走らせる速さも日本人と遜色ない。
筆者がスウォト君と初めて会ったのは、来日を2か月後に控えた2008年6月のこと。
ジャカルタで取材した彼は、日本語が全くできなかった。それを思えば、4年間で驚くべき進歩である。
もともと看護師をしていたスウォト君は、日本のアニメ「NARUTO」の大ファンだった。
憧れの国で働けるチャンスがあると知り、日本行きを希望した。その理由を当時、彼はこう語っていた。
「第1は、お金のため。日本では最低でも月1000万ルピア(約9万円)を稼ぎたい」
その夢は簡単に叶った。日本で働き始めると、月16万円以上の収入が得られたのだ。
インドネシアにいた頃の月収1万円とは大違いである。
今年1月の国家試験は不合格だった。それでも規定の点数を獲ったことで、来年に再チャレンジする権利を得た。
しかし、スウォト君は仕事を辞め、6月に帰国していく。
「仕事に疲れました……」
インドネシアにはフィアンセがいるが、仕事の当てはない。
日本に残れば、最低でも1年は仕事を続けられる。しかも国家試験に合格すれば彼女を呼び寄せ、
日本で永住することも可能なのだ。
「いや、もう日本はいいです。お金がすべてじゃないでしょ?」
スウォト君にとって、もはや日本は「憧れの国」ではなくなっていた。
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