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>>82
和夫一家殺害事件
URLリンク(housai.iza.ne.jp)
日帝時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には、明らかに立派な人々も多かった。
ところが、和夫一家殺害事件のように、韓国人は自分たちの間違いを、
日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し、事件を矮小化、隠蔽しようと躍起になっている。
和夫の亡骸は、釜山に大切に移葬され、毎年、日本人の墓参りが絶えない。以下は、
和夫夫婦が死んだ日、ふだん彼から深い恩を受けていた金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。
事件当時、金ソンス君も加害者だったが、殺害行為には同調しなかったそうだ。
和夫氏は、日帝時代によく見られた、慶尚道地方の日本人地主だった。
地主とはいうものの、和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって、
乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。公務員だった和夫は、
政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。
そのころの日本は、一種の軍事独裁体制で、政府の命令に従わなければ
すぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。
当時、朝鮮にいた日本人地主のなかには、朝鮮人の小作人たちから、
法の規定以上の小作料を取り立てる、怪しからぬ人々もいたが、ふだんから人情味の厚かった和夫は、
小作料を収穫全体の十分の一とし、村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。
自分たちの生活が困らなかったので、総督府の法令にしたがって、
やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。
貧しい小作人が食料がないと泣きつけば、喜んで食べるものを分けてやったし、
村で誰かの葬礼があれば、家族総出で駆けつけ、食事の支度はもちろん、自ら慟哭して、
悲しみを分かちあうこともあった。このように、和夫は人間への温かい愛情をもった、真の人間だった。