13/09/03 16:08:40.92 gjvg3m+p0
国会事故調 報告書より
14日の21時22分、2号機の圧力容器への注水が成功し、水位が回復したことから、
東電内部には一様に安堵感が広がり、退避基準に関する検討はひとまず棚上げになった。
しかし、日付が15日に変わるころ、格納容器ベントができずに2号機の状態が再び悪化したことから、
改めて退避の基準と計画が議論されるようになった。最終的には、15日3時13分の段階で、
退避計画を記したペーパーが確定されるが、そこには緊急対策メンバー以外の者が退避する段取りが記された。