アメリカ横断ウルトラクイズで2度米国へ クイズ王からクイズ作家になった道蔦岳史氏をご存知だろうかat NEWS
アメリカ横断ウルトラクイズで2度米国へ クイズ王からクイズ作家になった道蔦岳史氏をご存知だろうか - 暇つぶし2ch1: マヌルネコ(愛知県)
13/04/06 01:10:16.10 gsKhxekF0● BE:1063680858-PLT(12001) ポイント特典
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【クイズ番組】視聴者参加の企画を

URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
道蔦岳史(クイズ作家)

 クイズ王から、クイズ作家へ。日本のクイズ番組の歴史と共に歩んできたような人生だ。

 少年期の1970年代、クイズ番組は隆盛期にあった。視聴者が解答者として出演し、知識を競う番組が次々と生まれる。
代表格の一つ「クイズ・グランプリ」(フジ、70~80年)に高校時代に出場し、優勝したことが、クイズ人生を決定づけた。

 「視聴者にとって向こうの世界だったテレビに参加できる、その扉が開いていたのがクイズ番組でした」。以後、次々にクイズ番組で好成績を収める。

 77年には「アメリカ横断ウルトラクイズ」(日本)が始まった。野球場での予選、実際に米国に渡り、旅をしながらクイズを重ねる型破りの演出。
第1回放送で404人だった出場者は、回を重ねるにつれ増加していった。92年にいったん終了したが、98年に1回だけ復活、
その際5万453人を集めた。計17回の放送で延べ26万3882人が参加。視聴者参加型クイズの象徴ともいえる番組に育つ。

 この番組には10回以上挑んだ。第5回、8回には米国にたどり着いたが、優勝はかなわなかった。
番組は「知力、体力、時の運」をうたい、時にはじゃんけん勝負などもある。クイズだけでは先に進めないという要素が、ドラマ性を高めた。

 「現場では、カメラが回っていない時も、司会の福留功男さんが参加者を誘導して気分を高めていった。だから、視聴者も感情移入できた。
クイズにとどまらない特別な番組になった」



 クイズ作家として、裏方の道を歩み始めたのは89年頃だ。既に解答者として10年以上活躍し、クイズ番組を熟知していた。
新しいルールや、解答者のレベルに難易度を合わせて、問題を作るアイデアも充実していた。

>>2以降に続く)
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