12/08/16 13:35:03.28 UYsiD2BE0
●日本が韓国と2002年ワールドカップを争っていた1995年のこと。
訪問した東京と広島で両手に余る程のお土産(ボールペン、キーホルダー、ワッペン)を貰った。
品物には全て「World Cup 2002 in Japan」と印刷されていた。
一方で、同じ招待旅行でも韓国を訪れた記者は、日本とは全く違う物をプレゼントされていた。
「高価な品々」はもとより、連日のパーティーと酒盛り、
挙げ句の果てには「女性まで用意されていた」のだ。
全ては招致活動を指揮していた鄭夢準(チョン・モンジュン)の指示だった。
私はこういう汚い手段を徹底的に憎む。
私が長年、彼を国際的メディアで批判し続けてきたのも、ここに理由がある。
鄭夢準はこういうことがあって、私をソウルでのワールドカップ開催式とFIFA総会から閉め出そうとした。
しかし、ベッケン・バウワー氏もDFB会長もこれを一蹴。
逆に、鄭夢準に警告を送ったのだが、私としては彼との対決はむしろ望む所でもあった。
出る所に出て争えば、鄭夢準がいかなる手口でサッカー界の権力を握ってきたか、
白日の下に晒すことが出来たからである。
マーチン・ヘーゲレ(ワールドサッカーダイジェスト2005年8/4号)
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