12/07/16 23:21:09.37 M/gAkCnj0
中国人が知らない日本の尖閣領有の確定的証拠
【証拠その1】
1920年(大正9年)、中華民国(今の中国)の漁民が尖閣諸島の近くで遭難したのを日本の漁民が助けた。
それに対する感謝状が中華民国の長崎の領事から日本側に送られている。
そこには「日本帝国沖縄縣八重山郡尖閣列島」という記述がある。つまり助けられた場所は日本の沖縄県八重山郡の尖閣列島であるという意味。
これを補足する証拠として、1917年当時の魚釣島(かつおぶし工場で働く島民)の写真がある。
感謝状に書かれていた、中国の漁民を助けた漁民というのは、魚釣島のかつおぶし工場で働いていた日本の漁民のことなのだ。
燃料代が上がったのでこの工場は放棄、その後、魚釣島は無人島になっている。
URLリンク(blog-imgs-43.fc2.com)
URLリンク(blog-imgs-43.fc2.com)
【証拠その2】
人民日報(1953年1月8日付)に、沖縄で反米闘争が起きているという記事がある(※人民日報とは中国共産党の機関紙)。
中国の国内向けに、そもそも琉球群島とはどこかという解説があり、そこには琉球群島には「包括尖閣諸島」つまり、尖閣諸島が含まれるという記述がある。
中華民国が中華人民共和国になってから後も、尖閣諸島が日本の領土であると中国共産党が認めていた証拠である。
URLリンク(blog-imgs-43.fc2.com)
【証拠その3】
1958年に北京の「地図出版社」が発行した「世界地図集」の日本図。そこには琉球群島の中に尖閣諸島がちゃんと描かれている。
URLリンク(blog-imgs-43.fc2.com)