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我先にと、日中戦争の志願に応募した韓国人(朝鮮人)
日本政府が昭和13年(1938)4月、陸軍特別志願兵制を設置するや、
それまで独立運動を指導してきた崔麟らは、『これによって半島の
民衆も全的に日本国民になるのだから、一層覚悟を新たにしなければ
ならない』と声明を発表し、かつて大正8年(1919)には2・8独立宣言を
執筆した韓国(朝鮮)を代表する大作家・李光洙が歌謡『志願兵壮行歌』を
作詞するなど、3・1運動の指導者や民族文学の第一人者たちが率先して
戦争への協力を呼びかけたのです。これに応えて、韓国(朝鮮)人青年は続々と
志願しました。年を追うごとに応募者が増え、昭和16年に至っては実に
45倍の志願者が押し寄せたのです。その倍率に驚かされます。
韓国(朝鮮)は伝統ある儒教国家であり、応募するには父母、親族の許しが
必要でした。青年の一時の血気だけでは志願するのは困難なお国柄です。
この驚くべき倍率の影には、圧倒的な韓国(朝鮮)人の日本への支持があったと
見なければならないと思います。