12/06/08 20:04:02.97 faZOsQHs0
>>302
真実を知りましょうね
日帝は1905年11月17日、武力を発動して強圧的に
「乙巳5条約=乙巳保護条約=第二次日韓協約」をねつ造し、朝鮮を自分らの植民地につくった。
日露戦争を通じて朝鮮に侵略の魔手を伸ばしていたツァー・ロシアを押しのけた日帝は、
遅滞なく朝鮮に対する植民地支配権の確立に取りかかった。
すでに作成された計画に従って、朝鮮侵略の元凶である伊藤博文をソウルに派遣した。
伊藤は、高宗皇帝に会って「条約」原案を伝達し、無条件受け入れることを強要した。
高宗が断固と拒否すると、日帝は李朝封建政府の大臣らを日本公使館に誘引して
威嚇と恐喝、懐柔と欺まんの方法で屈服させて自分らの犯罪的目的を達成しようとした。
それを実現することができなくなると、日露戦争に投入した基本兵力を引き入れて
王宮を2重3重に包囲し、各所に軍隊を配置して朝鮮人民の反日気勢を押さえつけた。
王宮では「条約」締結のための会議が行われたが、大臣らの反対により決裂に至った。
すると、日帝は内閣会議を招集して強迫で大臣らに賛否を決定付けるようにして
封建政府の外部(外務省)の公印を持ってきて自分らの手で「条約文」に押した。
それには李朝封建政府の外交権を完全に奪い、統監府を設置して
朝鮮半島のすべての実権を強奪するための侵略的で、欺まん的な内容が入っていた。
このように、「乙巳5条約=乙巳保護条約=第二次日韓協約」は条約発表の重要な手順である国王の署名と国璽捺印もなしに
強盗さながらの方法でつくられた国際的詐欺文書、侵略文書であった。