14/11/14 21:55:09.85 0.net
ヒカキンさんがもう少し面白ければ、早い段階から既存の媒体からのアプローチがあり、
その枠の中でつまらないという烙印を捺されて終わってしまい、今みたいな年収を稼げるようにならなかったでしょうから、
ほどよい感じにつまらなくて幸運だったと思います。
いったん数字を持ってしまえば既存メディアもどんなにつまらなくても受け入れてくれますからね。
生活レベルでいうと誰も困らないし、これでいいんでしょうけど、文化的なことを考えてしまうと不安になりますよね。
センスの良い有能な(あくまでセンスの良い有能な人だけです)プロデューサーや編集者、批評家というのが
どれだけ文化というものに貢献してきたかというのが逆説的によくわかります。
音楽でもお笑いでもなんでもそうだけど、誰にでもわかるものが良いものかというと別にそうではないんですよ。
誰にでもわかるものには高度な表現として誰にでもわかるようになってるものと、
程度が低すぎてバカにだってわかるようなものの2通りあって、それを混同しちゃいけないんですよね。
混同してるとバカにでもわかるものじゃなくて、バカしか喜べないものがはびこってきてしまうんです。
わかりやすいことは良いことだけど、それだけが絶対の基準になるのはおかしなことです。
〝食〟に大人になる過程で色々なものを食べて経験を積まないとわからない美味しさがあるように、
色々な経験を経てからでないとわからない〝表現〟というものはあるのです。
高等数学はわからないし生活に必要ないからいらないというのと同じで、わからないから必要ないとか価値がないとかいうのでは絶対にないですから。
「わかりやすさだけ」を求めてると文化は衰退していくだけです。
今、ヒカキンさんに夢中な子供たちの中には一生ヒカキンさんでいい人もいれば、
色々な笑いの表現を知っていくなかでYouTubeにあげてしまった自分のヒカキンなりきり動画を生涯の不覚として身悶えることになる人もいるでしょう。
願わくば、色んな笑いの表現を知り、色んな笑いを楽しめるようになる子供たちが多くならんことを。【ロマン優光】
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