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村井チェアマンはにこやかな表情で、埼玉出身として地元のサッカーに対する思いを語った。
―川越出身で浦和に対する憧れは。
「ものすごくあった。『赤き血のイレブン』という劇画・アニメがあって、浦和南高がモデルで、
玉井真吾という主人公は(元日本代表の)永井良和さんがモデルだった。
それが浦和のサッカーだと子どもの頃に知っていて、高校は浦和に行きたいと思った。
先生には『絶対無理だ』と言われて、自分で願書を取りに行った思い出がある。
そのぐらい浦和はサッカーどころだった」
「私は当然通用すると思っていたが、当時は全国中学大会で原山中などが優勝していたから、
そういう世代がみんな入ってきて、もう箸を使うようにリフティングする。私なんか素人同然で全然レベルが違い、
流れ流れてGKになった。本当にレベルが高かったし、本気で全国を狙っていた」
―浦和高での生活。
「スポーツに明け暮れる生活だった。全校を挙げて球技大会があって、サッカー部はサッカー大会には
出られないので、ラグビー大会で優勝を狙っていた。(茨城の)古河まで50キロ近くあるマラソン大会だったり、
何十キロも泳ぐような臨海学校だったり、『湘南戦』という全校が(神奈川の)湘南高校に行って
スポーツチーム同士が戦うなど、明けても暮れてもスポーツをやっていた」
―浦和のサッカー。
「日本サッカーのレフェリーの先駆者だった浅見俊雄先生や、浦和市高から三菱重工で活躍した
元日本代表の落合弘さん。浦和の方が数多く殿堂入りした。レッズの社長をやって日本協会の
会長をやった犬飼基昭さんら、さまざまな先駆者たちが日本サッカーをけん引してきた」
「私が高校時代に監督だった柴田宗宏先生は読売クラブをつくった人の一人。
今の東京ヴェルディの初代選手兼監督・コーチという創設者の一人だった。
そういう意味では、それはそれは厚みのある世代だった。市高の磯貝純一先生。南高の松本暁司先生。
数多くの先生にお世話になった」
―その歴史がレッズに受け継がれている。
「それはあると思う。サポーターのサッカーに対する見識は高いと思うし、
クラブに対する思いや情熱は深いものがある。海外でも数多くのサポーターがACLに帯同しており、
入場者数もナンバーワンで経営規模も一番大きなクラブ。実績を見ても日本を代表するクラブの一つ。
競技成績や勝敗だけではなく、町を挙げてサッカーを楽しむ文化、スポーツに触れる文化など、
そういうことでもっともっと日本をけん引してほしい」
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