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ファジアーノ岡山は1日、小川雅洋 常務取締役統括本部長が9月30日付で退任し、
Jリーグのクラブ経営アドバイザーに就任すると発表した。
小川氏はクラブを通じて「2006年からクラブに携わって10年。クラブが岡山の地に根付き、
素晴らしい文化が育まれるために、サポーターをはじめ、全てのファジアーノ岡山にかかわった
皆さまと共に歩んでまいりました。そんな皆さまと一緒に、J1昇格という景色を見ることができず
岡山の地を離れることは大変心苦しい思いもありますが、今回このような形でJリーグから
クラブ経営アドバイザー就任のお話を頂き、岡山での10年間の経験を別の形でサッカー界の発展に
貢献させていただくことを決断いたしました」
「皆さまにおかれましては、これまでひとかたならぬご厚情をいただき、心から感謝申し上げます。
本来ならば直接お会いしてご挨拶申し上げるべきところ、この場を借りてのご挨拶となりましたことを深くお詫びいたします」
「今後は、Jリーグが目指す『スポーツで、もっと、幸せな国へ』を実現するために邁進してまいります。
私の立場は変わってしまいますが、ファジアーノ岡山の歴史はまだまだ創世記の中を進んでおりますので、
皆さまには引き続きクラブをサポートしていただければ幸いです」と挨拶した。
またクラブは木村正明代表による長文のコメントを掲載した。
「ファジアーノ岡山が発足し12年、会社化されてから9年が経ちました。
小川さんは、2006年からクラブの活動に携わられ、2006年の株式会社設立時には非常勤役員として、
2007年以降は常勤役員として、クラブ経営の根幹に携わり、力を発揮下さいました。
特に2006年と2007年は、クラブが存続できるかどうかの大きな岐路に立たされた年であり、NPO からの継承、
財務の安定、ファン・サポーター・支援者の輪の広がりにおき、特筆すべき手腕を発揮されました。
また、2008年からの成長期においては、 安定した財政基盤と、地元出身の人脈を最大限に生かし、
クラブの成長に大きく寄与されると共に、現在のクラブの礎を築かれた、最大の功労者のお1人であります」
「より具体的に申しますと、2006年、2007年は、何が何でも中国地域リーグを突破し全国地域リーグ決勝大会で
優勝しなければなりませんでした。単なる1サッカーチームで終わるか、その後、プロリーグに参戦できるか。
プロ化に踏み切ったものの、先立つものはなく、毎月増える累積赤字でクラブは厳しい状況でした。
数人のフロントスタッフ、サポーター、関係者の皆さまと大きなプレッシャーを分かち合うひりひりした
緊張感の日々でした」
「2008年から念願のJFLに参入し、有料興行が始まりました。小さな組織には、
当時Jリーグ入りのノルマだった平均3,000名の来場者をお招きするノウハウもスキルもなく、
小川さんの知り合いの方々に手弁当で手伝って頂き、やっと試合開催にこぎつけられました。
そして、ホーム最終戦で1万人来場という数字を達成し何とか3,000名を突破すると共に、
チームの好成績も伴って、悲願のJリーグ入会を果たしました」
「Jリーグ入会以降は、倒産の心配は多少減りましたが、プロクラブとしての形を作り、
そして、その先の飛翔を目指す上で、課題は山積みしていました。観客動員、試合運営、練習拠点、
サッカースクール、1つずつ、小川さんが中心的役割を担い、解決に向け組織を導いて下さいました」
「何よりもファンを、そして、サポーターを、ボランティアを大切にし、このクラブの歩むべき方向性、
100年続くクラブのフロント組織のありようを 示して下さったことは、クラブとして、1人1人の心の中に、
永遠に残り続けます」
「Jリーグから、百年構想を実現する仲間がどんどん増えていく中で、
一からクラブを作り一定の成果を成し遂げた経験豊富な人物がアドバイザーとしてどうしても必要で、
小川さんを抜擢したい、また、少々急を要する必要があるとの話を頂きました。
白羽の矢が立ったことはクラブとして名誉なことではあるものの、クラブとしても後ろ髪を引かれる思いが大変強く、
苦渋の決断となりましたが、リーグともご本人とも十分話した上で、今後、Jリーグが目指す「スポーツで、
もっと、幸せな国へ」を実現するため、活躍の場を移すこととなりました」
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