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僕が野球を始めたのは小学校2年のときです。6歳上の兄貴の影響で、もっと小さい頃からバットやボールには触れていましたが、
あくまでそれは「ボール遊び」。7歳になって突然、親父から「やってみるか?」と水を向けられ、
「ジュニアホークス」という硬式のボーイズリーグに入団しました。
プロ野球の南海OBの方が立ち上げに関わったチームで、練習の拠点は当時の南海の二軍の本拠地だった中百舌鳥球場。
振り返れば、身近にプロ野球選手と接する環境だったことが、のちの僕の人生に大きな影響を与えました。
「野球をやる条件はただ一つ。どんなにつらくても途中でやめることは絶対に許さんぞ。約束できるか?」
僕にそうクギを刺した親父は、日本石油のサラリーマン。本格的な野球経験はなかったようですが、熱心に練習に付き合ってくれました。
でも、とにかく厳しく怖い親父だったので、2人でいるときは常にビクビクです。
例えば試合後の帰り道。迎えに来てくれた親父の車に乗っていると、赤信号で止まるたびに、運転席から助手席に手が飛んできます。
「エラーしたあとのあの態度はなんだ!」
バチン。
「なぜ最後までボールを追わなかった!」
ガツン。
「おまえ一人で野球をやってんじゃないぞ!」
ボコッ。
そんな感じでしたから助手席で親父の説教に生返事を繰り返しながら、「青になれ」「赤になるな」と先の信号を見ては念じていました。
歩行者用信号が点滅したときは、親父の右足に向かって「アクセルを踏め」と念を送ったほどです。
今となっては「愛のムチ」と感謝できるそんな親父の厳しい指導もあって、
自分で言うのもなんですが、小学校6年のときには4番でピッチャー、大阪でもそれなりに名が通る選手になりました。
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2015年6月11日