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2月18日にリリースされた工藤静香のベストアルバム
『MY TREASURE BEST ー中島みゆき×後藤次利コレクションー』は、この国のポップス史を
振り返る上でとても重要な作品だ。
1987年8月31日、その2年半前に始まるやいなやこの国のティーン男子カルチャーを
席巻し尽くした(自分もスタジオ収録の観覧に何度も行って、とんねるずに煽られて大騒ぎ
していたものだった)『夕やけニャンニャン』の最終回放送日、まさにその当日にソロデビューを
果たした工藤静香。以来、彼女はコンスタントに作品をリリースしていた90年代後半まで
約10年近くにわたってトップシンガーとして君臨し続けることとなった。
(中略)
中島みゆき×後藤次利のコンビによって工藤静香に初めて提供された楽曲は、
本作でも<DISC-1>の冒頭を飾っている1988年の「FU-JI-TSU」。これは8作連続1位の
起点となって工藤静香の黄金時代到来を告げた曲だが、さらに言うなら、時代の転換点と
なった曲でもある。
昨今のアイドル史観においては、「おニャン子クラブ現象によって80年代アイドルブームは終わった」
ということが定説のように語られることが多い。しかし、より正確を期するなら「後期おニャン子クラブ
のエースだった工藤静香の“アーティスト”化によって80年代アイドルブームは終わった」
と言うべきだろう。
『夕やけニャンニャン』放送時、次から次へとデビューし、軒並みチャートで初登場1位を
獲得してきたおニャン子クラブの人気メンバーへの支持は、番組の放送が終わる(=工藤静香が
ソロデビューする)と同時に、一気に退潮することとなった。そしてそんな中、工藤静香は
アイドルとしてではなく、シンガーとして、アーティストとして絶大な支持を得るようになっていく。
この80年代末に起こった「アイドルのアーティスト化現象」。
先日、インタビューの席で工藤静香本人に訊いたところ、「ある日突然、“アーティスト”という
言葉をみんなが使うようになった。当時は流行語みたいなものだと思っていたのに、こんなに
一般的な言葉になるなんて想像もしてなかった」と興味深いことを言っていた。
実際にそれは、先行する松田聖子、中森明菜、小泉今日子らメガアイドルの「アーティスト化」、
そして工藤静香とほぼ同時代の本田美奈子、中山美穂、森高千里らの作品内容の変化など
とも連動していたわけだが、「元アイドルにもかかわらず同性からの圧倒的な支持」を獲得した
という点において、やはり工藤静香が突出した存在であったことは間違いない。
そこで鍵となったのは中島みゆきの起用である。
当時から都市伝説のように語られてきたエピソードをご存知だろうか?
工藤静香がソロデビューするにあたって、当時ポニーキャニオンのディレクターであった
渡辺有三氏はまだ高校2年生だった彼女に
「松任谷由実と竹内まりやと中島みゆきの3人の中で、誰が一番好き?」と質問した。
そこで工藤静香が一瞬の迷いもなく「中島みゆきさんです」と答えたところから、その後の
輝かしいソロキャリアが始まったとされるわけだが、工藤静香本人に確認したところ、この
エピソードは完全にそのまんま実話とのこと。
松田聖子の作品のクオリティ面における大充実をきっかけに、ニューミュージック勢がこぞって
アイドルに楽曲を提供するようになった80年代末の日本のポップスシーンの景気の良さを
象徴している話である。
(>>2以降につづく)
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2月21日(土)15時49分